谷口ジロー『冬の動物園』に登場する新宿アカシア
テレビドラマが大ヒットした『孤独のグルメ』というグルメ漫画があります。番組はドラマとドキュメントの二つのパートに分かれています。ドラマパートは俳優さんが脚本に沿って撮影されて、ドキュメントパートは原作者の久住昌之さんがグルメリポートをしていました。久住昌之さんは全国各地で食べ歩きしていることで知られてします。
一方で作画担当の谷口ジローさんのコミックではあまり美味しそうに食べ物を頬張っている印象はありません。凍傷を防ぐために激辛スープを飲んだり、極限状況でビスケットや漬物を齧ったりしている印象があります。食事もハードボイルド。そういう描写が多いです。
事件屋稼業3巻p44
しかし、『冬の動物園』という作品で新宿のアカシアという洋食店でロールキャベツを食べています。冬の動物園は谷口ジロー先生の若い頃をモチーフにした作品です。売れない新人漫画家の青春時代。
1968年の夏。かわいい女の子とデートです。『2001年の宇宙の旅』を見に行った後に新宿アカシアに行きます。
長かった。よくわからなかった。ちょっと疲れちゃった。じゃあ、帰ろうか。と完全に狙いを外した感。キューブリック映画なんてデートで見るなよ!!!という突っ込みが読者の脳裏に浮かびます。完全に機嫌が悪くなっている女の子。終わった。そんな雰囲気の中、新宿アカシアに向かいます。
名物のロールキャベツが美味しくて少しは機嫌を治してくれたようです。
ちなみに新宿アカシアは1963年に創業したそうです。『冬の動物園』の舞台は1968年ですから、創業してから5年後になります。僕が訪れたのは2016年。創業してから53年後。僕が生まれる前からロールキャベツが名物。
「でも、これ全部食べきれないわ。」のセリフのようにかなり量が多いです。僕はハンバーグとロールキャベツのセットを頼みました。写真でもボリュームが多いのがわかるでしょうか?
ちなみにロールキャベツは一貫単位で頼むことができます。というかロールキャベツは貫という単位で数えるの知らなかったです・・・。メニューには一貫、二貫と表記してあります。もちろんロールキャベツはとても美味しかったです。
口コミ一覧 : アカシア 新宿本店 (ACACIA) - 新宿/洋食 [食べログ]
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Makerムーブメントとパンク文化
ArduinoやRasberry Piに興味が出てきた。以前から興味はあって、MakeやInstructablesを眺めるのは好きだった。もちろんサイトに掲載される作品は玉石混交だけど、石の中にも晴天を突き刺すようなとんでもない創造性のエネレギーがあったりする。不思議なことだと思っていたんだけど、 Make:PROJECTSの書籍をパラパラと眺めたら謎が少し解けたかもしれない。
古典的な工学は、A地点からB地点へ向かう厳密なプロセスに依拠しています。一方、 Arduino 流のやり方は、道に迷ったあげくC 地点にたどり着いてしまう可能性を楽しんでしまいます。 これが私たちの愛するtinkeringのプロセス̶ 開放されたメディアで遊びながら予期しないものを探す行為です。また、そうした探索の過程で、ハードとソフトの両面から試行錯誤を繰り返すのに最適なソフトウェアパッケージを見つけました。この章では Arduinoの流儀に影響を与えた哲学、出来事 、そしてパイオニアたちを紹 介します。
Arduinoをはじめよう!5p
Arduinoをはじめよう 第3版 (Make:PROJECTS)
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tinkeringというのは試行錯誤を意味する英単語で、ヌーヴェルヴァーグの監督たちはtinkerersと呼ばれていた。A地点からB地点までの正確な設計図ではなくて、いじくりまわしたり、バラバラにしたり、パッチをつないだりしながら、試行錯誤を楽しみ、C地点にたどり着く。ギターのペダルのつまみを弄るような感覚で作っていくのがArduinoの流儀だそうだ。
Arduinoをはじめよう!11p
パンクの精神性は音楽性でもなく意図的な態度でもなく・・・もちろん派手な服装や髪型のことではない。如何に子供達に「君もできるよ」と教えてあげることがパンクの本質だ。子供が自分にはできないと失望したとき彼らの意欲は雲散霧消する。
ラスマス:今どきのゲームの中には,エンジニア数百人がかりで3Dエンジンやらレンダリングやらを駆使して作ったものもあります。子どもにとって,プロが作るようなゲームはとうてい自分には作れないと思い知ることほど意欲を損なうものはありません。「これなら自分にもできるよ」と言えれば,おおいにやる気が出るのです。今では私にもゲームを書くなんてとても無理ですね,少なくとも市販品と比較できるようなレベルのものは。
パンクを言い換えるとD.I.Y( Do It Yoreself)*1になる。更に言葉を変えると超越主義になるのではないか。米国の個人主義の思想の源流だ。近代的な価値観において、つまり、工業社会において自分で製品を作る必要はない。なぜならば工場が作ってくれるからだ。といっても不思議なもので人間は何かを作りたがる。仮にそれが工場で作られる製品より劣っていようとも。
Makerムーブメントはパンクと地続きなのだ。ぼろぼろのガレージから様々な怪物バンドを生み出した。ガレージから創業した会社が世間を席巻している。原動力は「自分でも作れる」だ。性能や洗練度は稚拙なものでもいいから、プロトタイプならば作れることができる。面白いプロトタイプができれば性能や洗練度を高めて製品化してくれる大人達に頼ればいいからだ。そう。夢があるのだ。
自分自身で作る。それは希望に満ち溢れた行為かもしれない。コンバインだって自分で作れるんだぜ。最高。
追記
『Maker is You!』というD.I.Yのキュレーション・メディアを立ち上げました。面白いものづくりを紹介していきます。よろしくおねがいします。
*1:ちなみにD.I.Yという単語はイギリスで用いられる。Do It Youreselfと省略しないで発音するのが米国式だ。
僕たちは平然と自分に嘘をつく
大学時代の友人逹と久しぶりに会った。同級生のTくんはお笑い芸人を目指していた。活動内容は主にライブ活動だ。売れないお笑い芸人同士で企画を組み、ライブハウスでイベントを行う。Youtubeに動画をあげたり、面白い記事を書いたり、ライブ活動以外の営業活動には熱心ではなかった。あくまでも仲間内での興行がメイン。
興味深い発言をTくんがした。
「テレビに出ている芸人より売れていない先輩芸人のほうがおもしろいのに!」*1
僕の人生で聞いてきた様々な言葉を思い出した。「あの人のほうが絵がうまい」「あんなやつより良い音楽やっているのに」「あいつよりおまえのほうがモテるよ」などだ。
残念ながら彼らが報われることはなかった。僕が知らないだけでどこかでうまくやっているのだろうか。少なくともそれは”共感”という欺瞞で誤魔化され続けられたものだ。人間の感覚は非常に良い加減な作りになっている。例えば、自動車の時速40kmと自転車の時速40kmは体感速度が異なる。高速道路から一般道に切り替えた際、感覚は奇妙なエラーを起こす。時速80kmの速度がまるで時速40kmにしか感じないのだ!高速道路の出口付近で警察官が取り締まりをよくしているわけだ。
体感速度は多くの人が知っているし、気をつけていることではあるが、奇妙なことに他のことにはあまり関心が持たれていないことがほとんどだ。僕たちは公共の場所で他人がしている笑い話にクスりとも笑えないのにね。*2
大東京トイボックス5巻143ページより抜粋
大東京トイボックスはゲーム制作会社が舞台だ。
自分たちの感覚は良い加減だし、どこまでいっても主観的に捉えることしかできない。客観的に捉えるというのは自分自身を疑うことであり、自己を不安にさせることでもある。だからこそ、何かしらの製作物に関わる人間は猜疑心と戦うことになる。耐えられない人間は自身に嘘をつき安寧を得る。
大東京トイボックス5巻144ページより抜粋
何度も何度も読み返したり、テストプレイをしたり、編集をしたり、作品を練りこんでいくうちに感覚は変容する。僕の経験で恐縮だが楽曲制作の際に不協和音やリズムの狂いですら、心地よく感じるようになってしまったことがある。恐ろしいことに人間の脳は辛いことも心地良い方向に流れていくような仕組みになっているのだろう。そして、集団内でジワジワと受容するようになり、気づいたときには駄サイクルが完成する。
自分や他人の感覚はあてにならないし、数値化したものが頼りなるのだ。そんなことは言わずもがなで、世の中でお金を稼いでいる会社や集団は理論や統計的なデータを元に動いている。抽象性が高くなるほど、自動化も進み、市場に似たようなものが溢れていく。そして金太郎飴状態の閉塞性を切り開いていく人達がいる。統計や理論に縛らない感覚で動くギャンブラー逹が新しい文化を作っていくのだ。ひょっとすると「売れていない人達のほうが面白い!」という神話はこのような側面からかもしれない。
ビートルズ元ネタまとめ
随分前に「くるりの元ネタまとめ」という記事を書きました。インターネット上にはビートルズの元ネタやトリビアがいろいろあります。でも、古いWebページの文章、海外のWebページ、SNSに投稿された文章、は検索に引っかかりにくいです。というわけで今回もサルベージが目的のまとめ記事です。元ネタを知っている人はコメント欄で教えてください。書き加えていきます。
Come Toggther→Chuck Berry - You Can't Catch Me
盗作騒動にもなりましたね。メロディが似ている。Come Toggtherは「here come old flat-top」と歌われている。Chuck Berryの You Can't Catchは「here come a old falt-top」と歌われている。歌詞もちょっと被っているみたいです。
Birthday→The Undertakers - Just A Little Bit
リフを借用。The UndertakersはBeatlesの面々と仲良かったそうです、メンバーのJackie Lomaxは後々アップルレコーズに在籍することになります。
Sun King→Fleetwood Mac - Albatross
これも有名ですね。1987年にジョージ・ハリソンに行ったインタビューでもアルバトロスに影響を受けたと答えています。特にリバーブがかかったギターサウンドに。
Beatles Songwriting & Recording Database: Abbey Road
I Feel Fine→Bobby Parker - Watch Your Step
リフの元ネタ。
The End→In A Gadda Da Vida - Iron Buttefly
あの有名なリンゴ・スターのドラムソロの元ネタ。6:30秒辺りから。ソースが怪しいけど・・・似ているのかな・・・?
Interesting to read that Ringo’s drum solo was developed during the recording sessions. I always felt that the solo was 95% like Iron Butterfly’s “In A Gadda Da Vida” released in 1968.
Maybe RIngo heard that drum solo somewhere and it crept into his subconscious…
Black Bird→J.S.Bach - Bourree BWV996
ビートルズのクラシックを使った元ネタと言えばBecauseの月光のソナタが有名ですね。Black Birdはバッハを改変した曲という印象です。下記動画で解説していますよ。
SHE'S A WOMAN→JOHNNY AND THE HURRICANES - Crossfire
1959年に米国でヒットした曲。元ネタはインストですが、これでShe's Womanが十分歌えます。
Lady Maddona→Humphrey Lyttleton - Bad Penny Blues
レディマドンナの元ネタ。Youtubeのコメント欄がLady Maddonaでいっぱい。ちなみにプロデュースとエンジニアリングはアウトサイダーミュージシャンのJoe Meekさんです。
ぼっさんぽい写真の撮り方
横浜のみなとみらいに遊びに行った時に撮影した写真です。完全にぼっさんと一致。よれよれの服装と生気が無い顔をしながらお花畑に隅に立っていれば誰でもぼっさん風の写真を撮影することができるはずだ。みんなもやってみよう!
ガールフレンドにもっとシャキっとした服装しなさい、と怒られた。シャキっとします。シャキシャキ。そういえばガールフレンド曰く2chやウィキペディアに書き込んでいる人間と知り合ったのは僕がはじめてらしい。世間的に見ると異常者である。重々承知の上です。
amazonで検索したら出てきた謎のボサノヴァ。Apple Musicとかもそうだけど、曲名や人名で検索すると「なに?このカヴァー?」という曲が出てくるんですよね。例えば、レイラで検索したときにエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの三大ギタリストによる地獄のようなカヴァーが出てきたり、サブスクリプション・サービスは悪趣味な聞き方をすると楽しい。
蔓延るめんどくさい物語
下記ツイートをリツイートしているアカウントを覗いたらライブハウスでお客さんや出演者と記念撮影した画像でいっぱいだった。義理で遊びに行くと2500円も取られるが、何十億円もかけて制作されたマッドマックスの爆音上映が1800円と脳裏に浮かぶ。最高のミュージシャンのライブ映像もYoutubeで無料見放題。彼らにそれだけの価値があるのだろうか。
音楽で食べてゆくには人と同じ方法では難しい。多くのインディーの方法はノルマのあるライヴ→自主制作CD発表→レコ発ライヴ。これではノルマがきつい→CDは売れないという悪循環に陥ってしまいます。ライヴはノルマ無し、CDはサポートする誰かに作って貰う。こうする方法はちゃんと存在します。
— 岩田由記夫 (@IWATAYUKIO) 2016年3月27日
買わされた産業廃棄物は引越しの時にダストシュート行きの運命。「楽しかったよ。また来るね」と心にもないお世辞。ここには不幸が満ち溢れている。そもそもパー券を売るなんてことは政治家やヤクザの資金集めの定番。うざいし、めんどくさいし、嫌になることなんですよね。いうまでもなくパーティに中身が無いことを買わされる側は知っている。
美しいものは美しくあってほしいし、美しいものを作ってみたいとか、美しいものを聞いてみたいとか、いっしょに演奏すると楽しいとか、知的なことが学べて嬉しかったとか、たくさんあるのに社会的な部分と繋がり始めると途端に美しさは陰りを見せ始める。
誰も買わないのにCDを作る必要はないし、iPhoneのGarageBandで録音すれば無料で音楽を作れる時代だ。お客さんが来ないのにライブをする必要なんかないし、そもそもライブをやっても身内の客が3人とかならば自分の家でやれよ。小学生の頃、放課後、友達の家に集まってゲームをやりにいった。ノリで遊びたらきっと楽しいのに。いっしょに遊ぶのはたのしい。今日おまえん家で演奏してんだって?ツイッターで見たぜ。あそぼー!ぐらいのノリでいいじゃん。人間を苦しめるめんどくさい考え方が蔓延っているのかよくわからない。物語に踊らされすぎだよ。
マインクラフトが見せてくれた未来
僕は東京都郊外のとある駅のカフェで昼食を摂っていた。1日の平均利用人数は6000人程度の小さい駅だ。山間部の麓に位置し、猪や鹿の姿はもちろん、場合によっては日本猿を見れるときもある。つまるところ田舎だ。
カフェはリーズナブルな価格帯だった。駅周辺近辺にファストフード店は存在しない。そのため中学生や高校生の溜まり場としても機能していた。
僕が座った席から斜め右のボックス席で中学生達がスマートフォンでゲームをしていた。マインクラフトで工作物を作っていたのだ。マインクラフトに飽きたらパズドラを遊んでいた。前者は海外のインディゲーム、後者は国内大手デベロッパーのソーシャルゲームだ。僕の子供の頃と大きく状況は変わっていた。マリオのようにボタンを押して破壊することしかできなかったゲームが大きなシェアを占めていたし、ましてインディゲームをプレイする環境は一部の財力と時間に余裕がある大人にしかできなかったことだ。
App StoreやGoogle Playのランキングにマインクラフトが常に上位であることは誰でも知っていることだ。有料アプリではマインクラフト、無料アプリではパズドラが上位だ。当たり前だけど、中学生や高校生と触れ合う機会は無いから実際に遊んでいる姿を見たのは初めてだった。何かを作ったりするゲームは昔からあるけど、日本一稼いでるソーシャルゲームと並び立っているのは文化的な分岐点と思っている。
『僕たちのゲーム史』という本でテレビゲームとはボタンを押して何かが起きることだ、と定義していた。日本一有名なゲームのスーパーマリオならばボタンを押すとマリオがジャンプをする。そしてマリオはブロックを破壊するだろう。
ボタンを押して何かを壊す、テレビゲームとは基本的にそういうものだ。インターネットの普及で美しく何かを壊す人たちを見れるようになった。彼らはTASと呼ばれる人たちだけど、一方でボタンを押して作り出す人たちも見れるようになった。マインクラフトで手間暇をかけて驚天動地の製作物を披露しはじめたのだ。そして自分でも作ってみたい、と刺激された人たちがマインクラフトをダウンロードするのだろう。
中学生がロックスターに憧れてエレキギターを手にするような現象がゲームを遊ぶことでも起きているということだ。
ソーシャルゲームの課金者は意外と年齢が高いそうだ。当たり前だ。経済的余力が無いと課金できないからだ。そして、推測に過ぎないのだが、彼らが子供の頃に遊んだゲームはブロックを壊す、消費をすることに価値を見出しているから課金をするのではないだろうか。ブロックを気持ちよく壊すことにはお金がかかるのだ!
マインクラフトで遊んでいる子供達が大人になったときにどういう社会が作られれるのだろうか。生産物を作るためのツールにお金を払うことは今と変わらないかもしれないが、自分で自分自身の道具、もしくは隣人の道具を生産することが一般的になっているのかもしれない、と想像すると少しワクワクしてくる。ゲーム関係で話題になっている言葉でVR(virtual reality)がある。一昔前だとゲーミニフィケーションだ。後者は既に忘れ去られ、前者も近いうちに忘れさられるだろう。夢みたいなことが僕の手元に来るまでは時間がかかる。テクノロジーとは往々としてそういうものだ。ただ、15年後、20年後に訪れる未来はテクノロジーが一般化していることもある。マインクラフトを遊んでいる中学生達は転換点なのかもしれない。70年代から何十年間も壊すことばかりに夢中だったんだから。