なつやすみ日記

猫のような日々

自分達の地図を描くことについて

 読了しました。面白かった。

 

インディシーンを、銀杏BOYZを中心に、00年代を振り返りながら10年代を語っていく内容の書籍です。新宿紀伊国屋で開催したプロモーションイベントにも遊びにいってきました。

 

プロモーションイベントでは本書の最終章である「地図を描こう」を中心に話が進められていた。ここで定義する地図とは渋谷、池袋、新宿、吉祥寺など特定の地名を指すものではなく、個人と個人を結びつける匿名性の高い地図のことを指す。かつては特定の地名が何かを指すものであったが現在では徐々に壊れつつある。例えばそれはユースカルチャーの最先端であった渋谷であったり、コアなハイテク機器が揃う街であった秋葉原がテーマパークしていくにつれて、大きな資本が参入し、個人が参入しづらくなってしまうことが背景にある*1。渋谷には地方都市にも存在するようなショップだらけになってしまったし、秋葉原は大手家電量販店が割拠することになった。資本が参入することで家賃の高騰と流入してくる他文化(資本や国家権力)によってそれは起こされるのだろう。

 

ただ、資本が参入したから個人でインディペンデントな活動していた人間が急に死ぬわけでない。もちろん、みんな生きている。そのような人達はWebサイトを設置してインターネットという場所で活動を続けたり、家賃が安い別の地域で店舗を経営することなどになる。例えば、僕が好きなインディ・ミュージシャンはフラットスペースと呼ばれる場所で演奏することが多いんだけど、フラットスペースは都内にも都下にも点在している。南池袋ミュージックオルグ、神保町試聴室、神保町スタジオイワト、吉祥寺キチム、三鷹おんがくのじかん、砂川七番にあるgallery SEPTIMA、八丁堀七針・・・etc.*2上記の場所で同じミュージシャン同士が共演をすることが多い。一見、内輪のように見えるし、内輪であろうとする人達が多くいるのは事実だが、単純に内輪であると論じてしまっていいのだろうか。かつてバンドマンが中央線沿いに住み高円寺に集まったように彼らも特定の意思を持って集まっているのだ。ただ、それを地名で表すことは出来ない。どこにも存在しない地図を彼らが作ったからである。

 

磯辺「だから、「東京に根ざした音楽」というものは、この街が歴史のない都市である以上、「東京」という「面」の単位では生まれ得ない。ceroがおもしろいのは、自分たちや家族、友達、そして好きな音楽の歴史を育んだ東京の「点」の単位で地に足をつけて、それらを繋いでいくところで。

 

九龍「彼らには「音楽で旅をする」っていうコンセプトがあるよね。それが小旅行なのか大航海なのかはわからないけど、その軌跡を見せてくれるところがおもしろい。すべての音楽は出揃って、すべてのものが用意されているように見えるんだけど、そのぶん状況はどんどんドメスティックになっていて、みなあまり旅には出ていない、ということをよく知っている。」

 

磯辺「東京が架空の街であることは前提として、そこに自分たちなりの地図を描いていくということだよね。東京は噓くさいけど、自分たちの手で描いた地図だけは生々しいという。

 

九龍「そうそう。次どこに行くかはわからないし、もしかしたら座礁してしまうかもしれないけど。それは坂口の『ゼロから始まる都市型狩猟採集生活』で繰り返した、都市の隠されたレイヤーを発見するということでもある。

 

 

P219-220

 

磯辺氏は東京は災害や開発によって何度も塗り替えられてきた街であり、○○の街という変数自体に歴史がほとんど存在しないため嘘くさいと看破していた。ceroというバンドの面白いところは自分たちの両親や友達が街と地続きであることである。ceroを知らない人のためにceroというバンドを紹介しておくと、Contemporary Exotica Rock Orchestraを頭字語 にしたものがceroである。直訳すると"現代的で異国風なロックオーケストラ"。インターネットによって全世界の音楽が並列化して聞こえるようになったいま異国とはどこなのか?それはファンタジーの世界、架空国家である。あらゆるライブラリのアクセスを消化して、どこにもないような土地を彼らなりに旅を続ける。僕や君にとってはおとぎの国に見えるかもしれないが、彼らが旅を続けている場所は現実に存在する東京である。他者にとっては架空の東京、本人達にとっては現実の世界で鳴らす音楽がceroである。


cero / Yellow Magus【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube

 

インディ界隈では絶大な支持を集めCOUNTDOWN JAPANにも出演しているが、一向に大ブレイクしないのもおそらくここにあると僕は思っている。自分たちで作った地図は一部の人にしか読み解けないからだ。『下北沢はお洒落な街』と言った地名とステロタイプは誰にでも読み解くことが出来るが、『阿佐ヶ谷roji、高城晶平』と書いても外部の人間は何のことだか理解することは出来ない。インディに興味がある人は「ceroのメンバーとそのお母さんが経営しているお店だよね」と即時に理解するだろう。誰でもアクセス可能な地図ではないのだ*3

 

 

作る能力もそうだし、読む能力もおそらく一部の人達だけしか持たない。持たざる人達は面白い物を知ろうと思っても大手広告代理店が宣伝したものしか手に出来なくなる*4。同じような人生、同じようなライフスタイル、同じような服装、そちらのほうが企業にとっては効率的で都合が良いのだ。

 

ただ、そういった環境に身を委ねていたとしても、企業の論理と上手く折り合いを付けることは可能だ。非常に面白い話が一つある。プロモーションイベントの時に、ゲストで来ていた編集者の北沢夏音さんの発言で知ったことだけど、大分県タリーズコーヒーでライブイベントを企画しているという店長さんがいるそうだ。全国チェーン店のタリーズコーヒーですよ!そこに前野健太さんを招聘したそうだ。

 

Live archive
2014年4月18日 (金)大分・タリーズコーヒー大分中央町店

http://maenokenta.com/2014/04/%E5%A4%A7%E5%88%86%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E5%A4%A7%E5%88%86%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%94%BA%E5%BA%97/

 

大分県大分中央町付近にはイベントスペースがほとんど存在しないそうで店長さんのご好意で市民に場所を貸したり、イベントを企画していたりするそうだ。検索したらワークショップ等もやっているみたいだ。もちろんタリーズ本社との調整が大変だったらしいけど*5、政治力に優れた人はどこにいても自分や市民達の個性を活かすことが可能なんだろう。好例だと思う。

http://centporta.com/category/%E3%81%BE%E3%81%A1%E6%95%99%E5%AE%A4%E3%81%AE%E6%A7%98%E5%AD%90/page/2/

 

結局、自分や誰かのために地図を描くことは個人の裁量次第なのかもしれない。ファスト風土化されていき、街と街の違いが無くなって独自性が消え去ったとしても、そこに住む人達は死にはしないし、大企業に取り込まれていたとしても、誰かのために地図を描くことは出来る。たぶんそれは大それたことじゃなくてもいい。友達に誘われてアパートに集まって友達の知り合いの弾き語りを聴いてYoutubeを見ながらおしゃべりをしていたら、その知り合いがちょっとした有名人にだってなっていたりする*6。誰かと遊んで楽しいことを共有していけば自然と地図は広がっていくのだ。そして、それが他の人の地図と繋がったら素晴らしいことだと思う。別に他人の地図は読めなくたっていい。自分で作っていっていつか繋がればいいからね。人間関係なんてたかが六次の隔たりさ。安心しなよ。すぐに繋がるさ。

 

Twitterやっているよ!

https://twitter.com/tyaka

 

*1:もちろん渋谷にも秋葉原にもコアな店はたくさんあるが、テーマパーク化すると家賃が高騰して個人が参入し難くなる側面は否定出来ない

*2:ここにあげた以外にもココナッツディスクなどのインディペンデント系レコードショップでインストアイベントを行うことも多い。

*3:インディバンドの多くがアクセス不可能な地図(文脈)で遊び続けて自己免疫不全状態に陥っているのも事実だけど、それでもceroは地図を外部に拡張し続けている姿勢が僕は好きなんだ。急に大ヒットなんかしなくたっていい。徐々に外へ広がっていくのを見ていたい。

*4:インターネットによって誰もが情報を得る可能性が広がったと思ったが、SEO対策に巨額を投じられる組織が圧倒的に有利という現実がある。Naverまとめかamebloかlivedoorブログの2chまとめばかりが出てくることからもね

*5:イベントのために一時間閉店を早めたことが問題になっていたりする。

*6:『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話 P102、弾き語りをしていたのは三輪二郎