なつやすみ日記

猫のような日々

ラッキーオールドサンについて

これは魂の問題だ。

 

I'm so sorry, mom

I'm so sorry, mom

 

青春時代には自分の好きな音楽を真似したくなる。大学の音楽サークルにはそんな人達で一杯だ。ラッキーオールドサンは音楽好きなら誰にでもあったような遠い昔の記憶を想起させてくれる。自分が好きなものを好きだってことを拙くてもいいから僕に伝えてくれる。それはインディロックのファンと作り手が求めている思想も指し示していると思う。

 

さて、She&Himを彷彿とさせるサウンドを鳴らしてるラッキーオールドサンというユニット名の元ネタはなにか?ブライアン・ウィルソン久保田麻琴から?それともスタンダードナンバーから?

 


Sam Cooke - That Lucky Old Sun (1957) - YouTube

 

答えは久保田麻琴氏のレコードだ。でも、篠原君がディスクユニオンで偶然見つけたレコードが元ネタであって思い入れがあるわけでもない。

篠原良彰(以下、篠原) : 意味は…
ナナ : あんまりない。
篠原 : 「That Lucky Old Sun」って曲を知ったのは久保田麻琴さんのレコードから。ユニオンにふらっと立ち寄ったとき、偶然見つけていいなと思って、すぐナナさんに連絡して決定したっていう感じ。ただ、あとづけなんですけど、あの曲は生活のことを歌ってて、僕らも音楽と生活とのバランスみたいなことをよく話してるので、すごく意味としては通じているのかも。ちょうど見つけたのが就活の帰りで気分が良くないときだったし、そのあたり悩んでる時期でもあるので。


男女2人組ポップス・ユニット、ラッキーオールドサンによるデビュー作をリリース&インタヴュー - OTOTOY

 

2014年、東京、音楽は溢れ過ぎている。過去のあらゆる音楽は一瞬でアクセス可能になっているし、新しい音楽もゾンビのように量産されていく。新しい音楽はともかく、過去の古ぼけた音楽、いや、決して賞味期限が切れることがない日本語のスタンダードナンバーというものを量産してきたシンガー達がいる。ユーミンなどがそうであろう。*1

 

ただ、そうした音楽は果たして僕たちの身体に刻み付けられたものかと言われると噓になる。理由はシンプルだ。その時代に生きていなかったからだ。あくまでもその歴史は自分を通したものではなく他者の体験を通して現在へと受け継がれている。誰かの体験が文字になり、次の世代に受け継がれて行く。それを無視するかリスペクトするかは個人の歴史観によるだろう。

 

僕が篠原君と話していて興味深かったのはギャングスタラッパーの鬼が好きということだった。

 


鬼 / "小名浜" - YouTube

 

「ヤクザの倅か母子家庭 親父がいたのも七つの歳まで 」というパンチラインやばいよねとライムを口ずさみながら談笑した記憶がある。

 

ラッキーオールドサンの音楽を知る人に取って、篠原君がこういった音楽を好んでいるのは意外なことかもしれない。でも何もかも並列化されてアクセスが容易になった時代には当たり前のことなのだろう。いまこの時代に生きる僕たちは日々色々なものを聴いているし、好きでいることが出来る。それでもあえて彼らのサウンドがヒップホップの逆方向を行く理由はなんだろうか?*2

 篠原 : これもよく話すんですけど、今はリズムの時代って気がしてて。僕らも決してリズムが嫌いではなくて、もちろんヒップホップとかも好きなんですけど、リズムだけになっちゃってその場でおもしろければいいって消費のされ方には抵抗がある。

http://ototoy.jp/feature/20141218001

 

アメリカ・ニューヨーク出身のバンド、Vampire Weekendもミュージック・マガジンのインタビューでこんなふうに答えている。

アメリカの子供たちにとって、ロックはどんどんニッチなジャンルになりつつある。だから、自分達をロック・バンドと名乗ることは特に格好いいことじゃない。ラップ・グループを始めるか、DJでもやるような子供だったのに(笑)あえてロック・バンドを始めたところが、僕らの最大の強みだと思う。それは興味深い制約なんだ。アルバムを作るたびに、できるかぎり懸命に素晴らしいモダンなアルバム、それもバンドとしての作品を作ろうと、いろいろやってみて、実験もしているが、それでもひとつの制約があるわけだ。

P69、2013年五月号

 

合理的に生きていれば篠原君もEDMをやっていたかもしれない。 *3ただ、恋愛と同じく、何かを好きになるのは不合理な物だ。理由なんてものは後付けに過ぎないし、複数の女の子と付き合う器用さも誰にだって神から与えられるものではない。好きになってしまった以上はそれで勝負するしかないのだ。

 

これは魂の問題だ。

 

*4

 

 

*1:ちなみにラッキーオールドサンもライブで「やさしさに包まれたなら」をカヴァーしている

*2:日本においてはEDMだと思う。

*3:彼が中田ヤスタカみたいなことをしていたらちょっと笑ってしまうけどね(笑)

*4:この数年音楽に限らず様々なテクストは情報量の多さを絡めて語ることが多い。確かにありとあらゆる音楽は容易にアクセス可能になったけど、ジャンルの融解は思った以上に進んでいないのではないか。もちろん遥か昔からジャンルレスな奇々怪々な音楽をやっている人はいるけど、ほとんどの人にとっては融解していないのではないのだろうか。ロック的な考え方、ジャズ的な考え方、電子音楽的な考え方、クラシック的な考え方、せいぜいそのうちの一つか二つ、もしくは一つしか使えない人も多いのではないか。ふと連想してしまったが日本人の場合は外国語も一つ以上喋れれば器用な方に入ってしまう。でも、ほとんどの人は母語を使いこなすことで精一杯だ。情報の海に身体が晒されたとしても消化出来るのはごく僅かな人々ではないのか?小食者に無理解な評論家、無自覚な大食者、肥満者に提供し続ける膨大なジャンクフード、それでいいのだろうか?と最近考えている。