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なつやすみ日記

猫のような日々

恋人達の行く末

学生時代のカップル達が続々と結婚している。でも、一方で破局するカップルも多い。

 

僕たちが生きて来た時代は恋人を思いやる気持ちも保存されてきた。SNSやブログに書かれてきた恋人を思いやる気持ちは見続けてきたし、たいてい永遠に続くような雰囲気を伴っていた。ただ、それは甘い幻想のようなもので、現実をサバイブしてきたカップルは生き残ったし、現実を顧みなかったカップルは甘い幻想を維持出来なかった。甘い幻想は現実を下部構造として成り立っているのかもしれない。そう、夢を見るためには現実が必要だ。現実が壊れる時に夢もまた崩れる。

 

君が本当に望むこと、あの娘が本当に望むこと、それは変化していくし、世間の圧力、身体の問題等で変わっていくものだ。それに正しく応えてあげれただろうか。理解出来ただろうか。伝わらないことは悲しいことだ。所詮、人間は孤独だとアイロニーをつぶやいて逃げるのは虚しい。たった、少しでもいい、君に理解されたいという蜘蛛の糸に希望を託しているのだ。それが失ったときに絶望に陥る。

 

性的弱者である僕には永遠にわからないことだ。でも、僕の周りの人達が悲しみを抱えることに抵抗は覚える。友達だから、共感しているからこそ、どうにか出来なかったのかという感情を僕の中に生んでしまうのだ。円満に別れました、とかそんなはずはないでしょう、少し陰があるトーンで彼氏/彼女は話していた。

 

この絶望に溢れた世界で、唯一無二で理解してあげられる他者なのに、全力で愛し合える関係だったことを約束した間柄なのには悲し過ぎる。少なくとも僕はみんなには幸せでいてほしいし、不幸になってほしくない。ただ、僕はそれを祈るしかない立場だ。君には君の生き方があるし、その選択を否定することは出来ない。ただ、聞いてあげることぐらいしか出来ない。そして、僕が出来る能動的な行為は祈ることだけだ。

 

愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。
温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく 暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。僕は世界中の全ての人たちが好きだ。名前を知ってる人、知らない人、これから知ることになる人、これからも知らずに終わる人、そういう人たちを皆愛している。
なぜならうまくすれば僕とそういう人たちはとても仲良くなれるし、そういう可能性があるということで、 僕にとっては皆を愛するに十分なのだ。世界の全ての人々、皆の持つ僕との違いなんてもちろん僕はかまわない。
人は皆違って当然だ。皆の欠点や失策や間違いについてすら僕は別にどうでもいい。何かの偶然で知り合いになれる、 ひょっとしたら友達になれる、もしかすると、お互いにとても大事な存在になれる、そういう可能性があるということで、 僕は僕以外の人全員のことが好きなのだ。一人一人、知り合えばさらに、個別に愛することができる。
僕たちはたまたまお互いのことを知らないけれど、知り合ったら、うまくすれば、もしかすると、さらに深く強く愛し合えるのだ。


僕はだから、皆のために祈る。祈りはそのまま、愛なのだ

 

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

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