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なつやすみ日記

猫のような日々

資本主義は成長か死の二択を選ぶことになる。

僕たちは資本主義社会に生きている。それは成長を常に押し付けられる社会ということだ。しかし、成長を拒否することは死を意味する。例外として、成長と死の境目で均衡を保つ者がいるが、大部分の者は成長か死のいずれかの選択を選ばなければならない。また、成長を選んだ者は肥大化していく体躯に耐えられなくなり、いずれ崩壊を起こし、死を迎えることになる。

 

誰もが知るように経済活動はバブル経済による好景気が発生し、バブル経済が弾けることで不景気が始まる。マルクス経済的に言えば、剰余価値を上乗せしていくことに限界点を超えると信用消失を起こし無価値になる。破壊と再生だ。ロックンロールが東側諸国で嫌われていたのは西側諸国由縁であるということではなく、資本主義的な思想を象徴的に表現していたからだろう。*1

 

経済活動はまるで目に見えないお化けのようなものだ。だが、経済は個人が多く集まることで形成される。つまり、経済活動は個人の生活とは無関係ではないのだ。選挙の一票の影響力のように感じ難いものではあるが、日本国の政治の権利の一部は個人が担っているし、経済活動も個人の影響で形成されている。また、経済活動のイデオロギーも個人個人のアイデアが集まって形成されている。そして最終的に形成されたイデオロギーが日本の資本主義であり、好む好まざるはともかく、少なからず僕たちは資本主義社会の影響可で生活をしている。

 

目の前を通り過ぎて行くムーブメントは多くのロックスターを生み出す。しかし、十数年前のムーブメントで発生したスターで生き残っている人をあなたは何人数えられるだろうか。例えば、僕が中学生くらいのときにインターネットではテキストサイトが流行した。テキストサイトは今のブログの奔りのようなものだ。ほとんどの管理人はどこかに行ってしまったり、思い出した頃には逮捕されていたりする。そして、残りはオモコロのようなサイトのライターになって生き残っている人も多い。当時の個人サイトは全滅状態。一人ぼっちは弱いのだ。個人的な美学はともかく個人が生き残るための最良の方法が成長することなのである。

 

成長とは自分自身の能力を高める意味にもなるが、集団の規模をスケールアップしていくことも同義である。いろいろなムーブメントを観察していると、最初は個人同士がバラバラに活動していたものが、徐々に集団を形成していく傾向がある。また、集団を好まない人は自身を鍛え続け超人のようになっていく。剰余価値を作るために。

 

資本主義の影響下に無いような錯覚を感じさせてくれるのが個人規模で活動し続ける前者なのだが、街中のチェーン店の飲食店はなかなか廃業しないが、個人規模の飲食店の廃業率は10年間で90%を超える。そんなことは街を観察していれば誰でも知っていることだ。故に個人規模で生き残った飲食店は成長と死の狭間で均衡を保っている存在とも言える。資本主義に囚われていないからこそ、神性を帯び、人を惹きつける存在になる。ただ、その麓には神性に惹かれた信者達の骸が積み上がっている。私たちも均衡が出来ると無根拠に信じて。 *2

 

ナンセンスなことに資本主義下では、神を信じるものは足元を掬われるのだ。僕たちは成長を求められる。方法は自由だ。ただし拒否は死を意味する。

正直に息できる朝5時が気持ちいい。歩いたら歩くだけ死ぬ確率はあがる 。歩かなきゃとりあえず、人間はどうせ死ぬ。

僕は頑張るよっ/神聖かまってちゃん

 

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*1:さらにマルクス経済的に言えば"破壊"は戦争を引き起こすし、また破壊は再生を生むことがある。朝鮮戦争は良い例。日本は朝鮮特需で大儲け。朝鮮は徹底的に破壊。

*2:多くの物理現象でも均衡状態を崩れやすいし、ゲーム理論ナッシュ均衡という概念があるが、パレート効率性の定義は参加者によって異なるし、ナッシュ均衡に至るまでのプロセスも踏まえなくてはならない。 プロセスを踏めない参加者がいた場合はゲームにならない。Win-Winなんて嘘っぱちなんだよ。