なつやすみ日記

猫のような日々

誰でも見れる社会的インパクトを示す数値を見ようとしない人達

これを自称アーティストに話すと逆ギレされることが多い。

 

再生回数、アクセス数、コメント数、リツイート数、Forkされた数、売り上げ額、etc・・・インターネットのおかげで得られた経験値が細かく可視化できるようになったし、そういう細かい数値が重なっていくうちに何らかしらの実績が達成される。それは誰にでも見えているし、一度に得れる経験値は大小あれど誰でも獲得可能だ。経験値という言葉は少し不適切であり、社会的インパクトを示す数値と言い換えても良いかもしれない。

 

ヘンリー・ダーガーのように自宅に引き篭もって作品を作り続けるならいいが(他人が勝手に作品を見ると激昂した)少なくとも何らかの社会的意味を達成したいのならば上記の数値は意識しないといけない。というか社会的権力を持った方々が巨大な数値を抱えているのが誰の目にも見えているではないか!!!何で戦略的、いや、愚直的であるおうが獲得しにいかないのか?Why Japanese People!?(厚切りジェイソン

 

彼らが携える巨大な数値も、スライム一匹倒して得られるわずかな経験値も同じ性質のもので、社会的インパクトを与えた数値であることには変わりはない。これを承認欲求に飢えている人たちに説明すると「?」という表情をされる。終いには逆ギレされることもしばしばである。インターネット的な例えではなく「畑で野菜を作って軒先の無人販売所に置いておけばお金という数値になるよね?」というふうに話してみてもダメである。「xxはお金のためではない!!!」「いや、僕が言っているのは社会的インパクトの最小単位の話で・・・?」「がんばっているから受け入れてもらえるんだ!!!」「・・・(ダメだこれは)」

 

いつも思い返すのは穴を掘って埋めるだけでも経済効果があるというケインズ経済学であり、世の中の大半の学問や仕事は穴を掘って埋めるだけの社会的価値を生み出さない虚無ではないだろうか、という仮説が脳裏をよぎる*1。世の中は見えている人達と見ようとしない人達の二つに分かれる。穴を掘って埋めることに疑問を抱かない人、疑問を抱く人、どちらが良いという話ではないが、それぞれが民主的にコミュニケーションを行うことは可能だろうか?と思うこともある。結局、そこには仕事を与える上でパターナリズムが必要であるし、労働者も誤魔化されていると気づきたくないものだ。嘘に気づくと酷く面倒に傷つくのが人間だからだ。それはたぶん僕自身も。*2

*1:もちろん穴を掘って埋めるだけの仕事をしたい人はいないが、意味があるように思わさせるのが政府や企業の経営者の仕事。例えばオリンピック会場は作ってすぐに解体。まさにケインズ的。国威高揚を隠れ蓑に大金が注ぎ込まれる。

*2:大人になるとドラクエのスライム一匹倒すのもめんどくさくなる。久しぶりに点けたゲーム機のスイッチは30分でターンオフ。子供のほうがゲームに夢中になれるものだ。子供は変わりやすいし、大人は変わりたくない。