運命とクラスタ
バンドマンはバンドマン同士で仲良くなるし、イラストレーターはイラストレーター同士の付き合いがあったりするし、アナログゲーマーはゲームを一緒に遊ぶ友達を作らなくてはならない。
似た者同士で交流をすることをインターネット・スラングでクラスタと言われている。人間は時間的な生物であり消費できるリソースには限度がある。つまり、友達になれる人数は限られているということである。それはダンパー数と呼ばれているものだが、良好な人間関係を築ける上限はだいたい100人から230人程度であると言われている。*1
最近、僕は本人の社会階層(経済状況)精神性、出自、健康状態などの個人の趣味嗜好以外の属性も人間関係が決定しているのではないかと考え始めている。例えば、売れなくてつまらないお笑い芸人同士でつるむが、決してそこには売れていて面白い芸人はいないということだ。前者は自分たち自身が本当はおもしろく、売れることを信じているが、事実と異なる。当然のことだが、前者は市場の「面白ければ売れる」というルールを守っていないが、後者は市場のルールを守っているため市場で評価される。そして、恐ろしいことだが、売れなくてつまらない芸人達は当然のことながら売れたいと願っているが売れることはない。それはあらかじめ決められてしまった運命のように。
米国大統領選挙では様々なフェイクニュースが発信され信じる人々が出てきた。信じる人々にとっては真実であり、自分自身の運命を託してついて行くのだ。そして、隣人は同じくフェイクニュースを信じている。冷静に事実を伝える人間は隣人ではないのだ。
かつて事実は一つだったが、2017年、僕たちの世界は複数の事実によって動いている。フェイクニュースを信じる人たち、売れたいと願っているのに売れないお笑い芸人、そして気づかないふりをしている自分自身の数々の思い込みやトラウマ・・・運命を変えたいと願うならば自分自身のトラウマを見つめ、事実と向き合うことなのかもしれない。それは現在保持している人間関係を断ち切る可能性があることで(フェイクニュースがフェイクと気付いたときに信じる人々のことを軽蔑せずにいられるだろうか?)孤独の恐怖に打ち勝つ事と同義なのだろう。
- 作者: ロビンダンバー,Robin Dunbar,藤井留美
- 出版社/メーカー: インターシフト
- 発売日: 2011/07
- メディア: 単行本
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