なつやすみ日記

猫のような日々

イジメは学校構造の問題ではないのか?障害者イジメ被害者の当事者がイジメについて語る。

 
この数日間、小山田圭吾氏の障害者イジメ問題の炎上が続いている。僕は発達障害でイジメ被害者で少なからず当事者性があるわけだが、僕が思っているのはファンもアンチも両方とも僕のことをイジメそう*1ということだ。

 

僕は特性から生じる脳機能の問題で空気が読めなくて身体性(身体の動きが不自然)も不自然だ。ようするに空気の読めないキモい動きをする人間なわけだ。どういうふうに空気が読めないかといえば、小山田圭吾氏がオリパラ音楽担当に起用されたと聞いた時に炎上している人を尻目に「ははは、またやってら〜*2コーネリアスのうんこネタみんな好きだなあ」と呑気に言っているぐらいだ。みんなが真剣に話している時に笑ってしまったり、不用意な発言で怒らすというのは日常茶飯事だ。みんながなぜ怒っているか感じることが上手くできない。もちろん後天的に身につけた処方術で「小山田圭吾氏を起用した広告代理店の人はリスクとか考えなかったのかな?」と思うぐらいには常識を身につけてはいるのだが、これは単なる後天的に身につけたパターン認識なので咄嗟に反応したり、共感したりすることが非常に苦手である。不器用な人間なのである。故にいじめられる。

 

普通の人は強い共感性を持っていたり、他者に対する関心を強く持っていることが多いのだろう。故に本質的に自分自身に無関係だとしても「イジメ許さん!吊し上げろ」となるし、擁護する側も何らかのコメントを出して他者に対して共感や関心を示している。

lineblog.me

イラストレーターの中村佑介さんの記事がバズっていたが、中村氏は若い頃から小山田圭吾氏の人格に疑問を抱いていたが、小山田氏の結婚や出産でコーネリアスサウンドが変わったと言っている。このような人がいるから、ロッキンオンジャパンクイックジャパンが二万字インタビューで音楽とは無関係な話を長々と書き散らしパブリックイメージが作られてセールスにも繋がっていく。それが嘘か本当か定かでないのに。Twitterで散見されるように、そしてメディアで喧伝されるように、当時の音楽産業に関わっていた人間が当時の文化事情を考えてくれと釈明していますが、結局、読者もグルであり、自分の人生に当て嵌めて共感して音楽を消費する。あの音楽は自分にとって良い、あの音楽は自分にとって悪い、そんなふうにある種の政治的力学が働いて権力や秩序といったものを強化されていく。

 

アンチに取っては小山田圭吾の音楽は「障害者イジメをする悪い奴だ」と他者に関心を持ち、悪い音楽となり、いまやYoutubeコーネリアス関連のコメント欄はひどい有様になっている。本質的に自分自身の人生に関係ないのに関わらず。

 

権力や秩序は人によって好みが違うし、それは移り変わりゆくものであるし、それは学校のクラスルームも同じことで、いじめ問題の専門家の内藤朝雄先生は著書で以下のような理論を用いて説明している。被害者と加害者といった二項対立を超えて構造的に問題があるのではと論じている。その一つとして制度・政策的な変化による秩序の変化について以下のように語っている。

 

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引用「いじめの社会理論」内藤朝雄 P-115 

市民社会的な制度・政策的マクロ環境Aから、構造的に共同体を強制する文化大革命隣組や大日本少年大といった制度・政策的マクロ環境的Bへとマクロ環境が変化すると、生活環境におけるローカル秩序の生態学的布置が太極的にβ-秩序優位になる。そして、β-秩序優位の生活環境で「あたりまえ」の現実感覚が変容し「ニコニコしていたおじさん」が怒鳴り散らし「卑屈」な少年が暴君になる、といった出来事が社会のすみずみで蔓延しだす。

(中略)

たとえば日本の敗戦とともに、隣組で怒鳴っていた迫害者は「にこにこ愛想のいいお店のおじさん」に戻り、少年団の「小権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」(中井、1997、22ページ)また学校の集団生活で残酷ないじめにふけっている者ほど、市民社会の論理が優勢な場面では「おとなしく、存在感の薄い」少年に変貌する。マクロ環境の変化と共にこういったことが社会のすみずみでいっせいに起こるのである。

 引用「いじめの社会理論」内藤朝雄 P-114,117 

 

 

ファンもアンチも属している秩序が違うだけであり、またそれは世の中が変わることで被害者が加害者にも回るし、加害者が被害者になることもあり得る。何らかの権力や秩序に深く関与出来るということはすなわち暴力に繋がることがあるということだ。そしてそれは風見鶏の如く状況によって変化するし、令和日本も世の中が変化して、手の平を返す人たちは山のようにいる。例えばかつて会社で公然として行われていたパワハラなどだ。
 

 

 

SF作家の樋口氏はそのような人のことは軽蔑するし一緒に仕事をしたくないと言う。もちろん見方を変えればそのような同僚は既存秩序の変化に合わせて適応しているとも言えるし、一方で適応できない人間は不器用な人間として生きにくいのかもしれない。はだしのゲンの鮫島みたいな厚顔無恥な人間は生きやすく、戦前戦後からもスタンスを曲げないゲンたちは生きにくいのかもしれない。ようするに空気を読むという能力が強い人は強い秩序の匂いを嗅ぎ分けることが得意であるし、共感することも得意なのだろう。というか、世の中的には鮫島みたいな人が一般的であるのだろう。例のいじめ問題について当時のライターや文化人も「当時から良い気持ちはしなかった」と手のひらを返すように。もちろんそれははだしのゲンで鮫島が醜悪な人物として簡単に認識できるが、現実の自分を見つめることは何をするにしても難しい。現実問題として私たちは無意識に手のひら返しを行うことが多いのだろう。学生時代にイジメをしていた加害者も卒業してからは「なぜあんなことをしてしまったのだろうか」と夢のように感じてしまうように。

人間が状況や構造によって暴力的や隷属的になるのはよく知られていることである。インターネットの民が大好きなスタンフォード監獄実験である。esという映画にもなっている。

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

 

前述の内藤朝雄先生は世界の国々の教育政策タイプを学校共同型、学校教習所型、地域軍団型と区別して説明している。若者の生活をトータルに囲い込むことを期待されるタイプが学校共同型であり、もっぱら勉強を教えることを期待さえるタイプが学校教習所型であり、学校ではなく地域集団のほうで集団主義教育をするタイプが地域軍団型である。もちろんお気づきの通り日本の教育は学校共同型である。内藤先生は明確に共同型を批判している。

教習所型の場合、基本的に学校は乱暴なことをやっても大丈夫な居場所ではない。学校は共同体とみなされないので、自分たちのムカつきを受け止める容器、あるいは包み込み子宮のような空間とはみなされない。暴れたらあっさりと法的に扱われ、学校のメンバーシップもあっさりと停止されがちである。それに対して日本は、学校共同型の極端に突出したタイプであり、その極端さが「日本的」と呼ばれてきた。

(中略)

共同体を無理強いされた者たちのあいだで蔓延する。なぜ一緒にいなければならないのかわからない者たちと、心理的な距離をちぢめさせられ、共に響き合う身振りを毎日やらされていると、こういう未分化な憎悪が蔓延する。共同型の学校では、ネズミや鳩を檻の中でむりやりベタベタさせると通常では考えられないような攻撃性が生じるという、あの過密飼育実験を、わざわざ税金をドブに捨てながらやっているようなものである。

引用「いじめの社会理論」内藤朝雄 P31

 

内藤先生は共同型学校がどのように歴史的に構築されてきたかを説明し、構造的に暴力が発生しやすいと語っている。構造的に暴力が発生しやすく、前述したようにクラスルームに大きい秩序が存在したら小さい秩序はイジメに合う。そこに小さい秩序となりやすい障害者を放り込んだらどうなるのだろうか。 

http://www.wako.ed.jp/e2/integration/

小山田圭吾氏の出身校である和光学園では共同教育という名目で実際に行われているそうだ。

ハンディをもった子にとっては民主的な能力などの発達を促すこと、健常児については少数者・弱者の立場に立ってものを考えられる力をつけること、それは人間としての発達に大きな意味があることだと考えています。

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共同教育 – 和光鶴川小学校

昨晩、和光学園の出身者の方が告発のnoteを書いていた。

note.com

上記のnoteによれば理念とは裏腹に障害者は暴力に合い、教師は見て見ぬふりをしていたそうだ。内藤先生に言わせれば「当然の帰結だよ」と言いそうだが、内藤先生がいじめを無くしたかったら以下のようにしたほうが良いと結論を出している。

密教育の檻を解体し、各人が自由に距離を調節し、学校のねばりつく関係性の襞に対して(やろうと思えば)よそよそしく距離をおいて生きることもできる権利を保証するのが、単純明快な正解である*3。しかしこの正解は、一部の教育系の人たちの「國體」を否定するものだ。彼らの深層の価値指向にとっては、若い人たち個人個人の自由や人権や生命身体の安全よりも、大いなる命としての教育共同体の方が大切である。

引用「いじめの社会理論」内藤朝雄 P34

上記と似たような主張のツイートもあった。

 

結局、このような構造を作った側が悪いのであり、加害者と被害者といった単純な二項対立自体がナンセンスである。もちろんイジメ被害者の全員がそういうふうに思うように出来ればいいが・・・。以下の言葉で締めたいと思う。全人類が以下の言葉のように出来ないからイジメの報復も起きるし、戦争も止められない。しかし、目指すべき地というものはある。

神がすべての人を愛するように、あなたの敵をも愛せ。

引用:新約聖書「マタイによる福音書

 

*1:もちろん小山田圭吾も僕のことをいじめそう(笑)

*2:音楽ファンなので2ch小山田圭吾スレを覗いたことがあるから

*3:また具体的な施策・政策の提案は本著で主張している。しかし、2001年の著書であるため、内容がアップデートされている可能性が高いので興味がある方は内藤先生の最新の動向を追ってもらいたい。

共同創業者に2回失踪されたが懲りずに起業する件について

共同創業者に二回失踪されているというお話です。

 

大学時代の知人のKくんが在日ファンクというバンドのマネージャーで活動していました。そして活動が実を結び、コロンビアにスタッフごと買い取られるということがありました。その一連の流れを見ていて「あ、僕も出来るんじゃない?」と思って友人のバンドをマネージメントして売れさせようとしたんですよね。折角だったら最高に良いものを作りたいと思って、レコーディングエンジニアには中村宗一郎さん、ジャケットのイラストは本秀康先生、デザインはスケッチ・オブ・デザイン(現アルムナビ取締役)の勝又社長にお願いしました。キャッチコピーは九龍ジョーさんに書いてもらいました。錚々たる面々に関わってもらったけど、バンド側に予算が全然なかったからほとんどタダみたいな値段でやってもらいました。もうむちゃくちゃな話ですね。

 

彼らが仕事を受けてくれたのは、自分達のバンドのサウンドが素晴らしくて将来の期待値にかけてもらったからです。言い換えれば投資を受けたということなんですよね。その後、無事に作品が出来て、色々な人たちの協力で、タワレコやヴィレバンに陳列することになりました。インディ欄ですが雑誌にもちらほら露出しました。それでもっと売るぞーーーとなった段階でフロントマンのA氏が失踪。バンド崩壊。俺は関係者に平謝りというオチです。その節はみなさま申し訳ございませんでした。投資を受けたのに失踪。言い換えればお金の持ち逃げですよ。はっきり言って人間関係考えれば逃げれる立場じゃないですよね・・・。僕自身はA氏が「紅白に出たい!」と言っていたから本気で支援していて、仮にお金にならなくても働きながら一定数のファンがいて週末にライブする生活も意味のある人生ではないかな?と思っていました。実際、彼の周囲にいたバンドやグループはマネタイズ出来ているかはわかりませんが、それぞれ一定の知名度を獲得するようになっていて、逃げずに頑張っていればその一人になっていただろうな、と思っています。僕も音楽大好き人間として、音楽のコミュニティーに貢献出来たら一回しかない人生の中で有意義なことが出来たと思うんですよ。だからこそ色々手伝ったわけだし、彼自身も売れたかったわけだけど、同時に露出することの恐怖心というアンビバレントな感情もあったのかな、と思っています。故に逃げちゃったと。ロックミュージックはセルアウト/アンチ商業主義のアンビバレントな感情にあると、ポピュラー音楽研究家の大和田俊之先生は指摘していますが、彼の場合もそうだったのかな、と思うしかありません。当時も今も死にてーと思っている懐かしい思い出です。僕は思い出で終わりたくなかったよ!!!!マジで悔しい!!!!!うわーーーーー・・・・ギャーーーーー!!!!・・・本当に関係者のみなさま申し訳ございませんでした。

 

会社に勤め上げる社会性も無いのでインターネットの某コミュニティーで知り合ったエンジニアの友人I氏と色々と事業を立ち上げました。事業の一つはIoTプロトタイプ製作というちょっと流行りのかっこいいことをしていました。一緒に事業をやるまでは意気投合した仲だったんですが、一緒に仕事し始めると問題がいろいろ発生するんですよね。僕がやらかした問題もたくさんあったんですが、その分リカバリーして様々な仕事を引っ張ってきました。しかし、I氏は「あれが嫌だ」「これが嫌だ」と仕事を選り好みするんですよね。おまけに途中で請けた仕事を相手の態度が気に入らないから破棄したいと言い出す始末。まあ、他社のプロトタイプ製作はアルバイトのようなもので、本当は自分達の作りたいプロダクトがあって、投資家から出資を受ける計画だったんですが、本人はプロトタイプを「絶対に作れる!」と言って一向に作らず。三年経っても作らなかったんですよね。完全に言うだけ番長ですね。誰かと一緒に何かをやることは何かしらの問題はあって当然と思っていたので我慢して何年も付き合っていた面もあったけど、この件のオチはI氏がガールズバーで女の子を引っ掛けて事実上の失踪をしてしまったことですね。また失踪かよ!って感じですがまた失踪されました。散々揉めていて冷え切った関係でしたが、一部の人間にだけ失踪することを伝え、僕には何も言わずに失踪。最悪です。当然ですが、引き続き行なっていた仕事は全て断り、取引先には僕が平謝りです。地獄再び。そして何も始まらずに終わるという経験も再びやってしまいました。もう笑うしかないですよねーははは。

 

年齢は無意味に重ねるし、大好きだった恋人と別れるし、 良い歳して実家暮らしというロクでもない状況しか残ってないのですが、幸いなことに実家が太いんですよね。故に経済的には何も困ってないし、僕自身の貯金もそれなりに持っているんですよね。就職するということも一時は考えたけど、発達障害のせいでコミュニティーに属せない性格で、経験上イジメられたり排除されるのがオチなんですよね。そうなると自分が幸せになるルートは一つしかなくて自分自身で事業を作り暮らしていくことなんですよね。ただ、今まで誰かと事業をやると失踪されたり仕事を全くしないという状況が起きてしまうので、それを回避するには自分一人ではじめるしかないというのが僕の結論です。共同創業者と揉めたりするというのはよくある話だけど、それが僕にもあったという話なだけです。もちろん複数人で運営してうまくやる人たちもいるのはわかっています。たまたま僕にそういう能力がなかったり、運がなかっただけです。ただ、次は失敗したくないので、創業者はもちろん僕一人で、契約と仕様で部下を雁字搦めにしてコントロールしようと思っています。そういうことをしていくとコミュニティにおいてリーダーは孤独になっていくのですが、歴史的に見ても支配者と隷属者というのは平等ではなく、契約と罰則で支配してきました。経営者やリーダーは孤独と皆言うのはそういうことです。構造的に仕方ないんですよね。僕はその辺が甘かったなと思っています。もしくは金の関係のみで相手がどうなろうと知ったこっちゃないというスタンスですね。商材の一つに集客支援などを考えていますが、僕自身は真面目に仕事をするけど、相手の事業が失敗しようが成功しようが知ったことでは無いということですね。以前の僕だったら一蓮托生だったのですが、今回違うのは事前にお金を貰っておくので、契約期間が過ぎればおさらばできる状態ということです。とにかく契約と金に関する事はルーズだったのが一番の反省点で、今後は起業家にありがちな夢とか情熱とかそういう曖昧な概念は全て捨てて、非情なビジネスマンとして生きようと思っています。がんばります。

上野デリーの水曜限定メニュー「タンドリーチキンドライカレー」を食す

僕は発達障害のメンヘラだから精神科通いなわけです。本日も行ってきました。

 

医者「最近の調子はどうかな?」

僕「元気ですよ!また起業します!!!」

医者「お薬増やしますね〜」

 

閑話休題

 

僕「東洋医学って胡散臭いですよね。調べてもあんまり良いエピデンス出てこないし、どうなんですか?漢方とかつぼとか」

医者「つぼはちょっと怪しいけど、漢方は化学というより技術に近いかな。漢方は単価が安いから実験をする為の予算が取れないんだよね。だから、エピデンスが少ない。でも、長年の運用経験で効果があることは分かっているから処方するんだよね。それと漢方は錠剤よりマイルドな効き目かな。」

 

なるほど。勉強になります。

さて、本題。

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上野デリーのタンドリーチキンドライカレー

帰りに上野デリーで水曜日限定のメニュー「タンドリーチキンドライカレー」を食す。これむちゃくちゃ美味いです。最高です。「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」と孤独のグルメのセリフを挿入したくなるレベルでハフハフ食べてしまいます。スパイスが効いたドライカレーとフレッシュトマトの相性が最高です。スパイスの辛さが気持ちいいと思ったら、フレッシュトマトの清涼感がそれを打ち消す、そしてまたスパイスの辛さが・・・と無限ループします。これ何かと似てます。サウナと水風呂です。サウナで火照った身体を水風呂で冷やす、そしてまたサウナに入り身体を暖める、そしてまた水風呂に入り気持ちを整わせる。一連の作業を繰り返すと突然脳内にジーンという謎の快感物質が出始めます。サウナ用語で「整う」というやつです。そう。まさにこのカレーも脳が「整い」ます。水曜日に上野に行ったら絶対食べよう。おじさんとの約束だよ?

 

インドから帰ってきた時は「二度とカレーなんか食べるか!」と思っていたぐらいスパイスに嫌になっていたけど、またハマっていてよく食べています。スパイスは麻薬。そのうちマイカレー作りもはじめてしまうかもしれない。カレーはいいぞ。インドに行こう。

高円寺のインド富士子でカレー二種盛りを食べた。

高円寺「インド富士子」でカレー二種盛りを食べました。インディーロック好きには有名なレコードやZINEのお店「円盤」と同じビルにあるカレー屋さんです。円盤はビルの二階、インド富士子は一階部分にあります。知人友人がよく行っていて一度は行ってみたかったカレー屋さんです。

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カレー二種盛り。フィッシュカレーとほうれん草のビンダルカレー

カレー二種盛りは1200円、三種盛りは1500円でした。日曜日の19時前に入ったけど、満員でした。そのあともひっきりなしに入ってきて商売繁盛ですなーと思いました。基本的にカレーだけにメニューを絞っている点も共感できたし、店内の雰囲気や味やメニューで"インド富士子味"というブランディングがキチンと出来ているんですよね。良いお店というのはそういうのがちゃんと出来ているから繁盛する。逆にそのお店のブランドが出来上がっていないとお店は潰れちゃうんだよね。インド富士子サワーという謎味のサワーが売られていたが、私は「これ何味なんですか?」と無粋な質問をするが「インド富士子サワー味です」とトートロジーで返されてしまった。でも、ある意味開き直ってないとこういう言い方は出来ないよな、と感心してしまった。お店を作るために役割を演じているってことです。ちなみに味は柑橘系果物にマサラを入れたサワー?のようでした。

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食後のチャイ300円

インドで飲むと10ルピー(20〜30円)のチャイも日本で飲むと10倍です。右から左に物を流すだけで商社が儲かるわけですよ!バカヤローと言いたくなりますが、美味しいチャイです。

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The NOTWISTテニスコーツのライブのフライヤーが貼ってあった。

店内のBGMは坂本慎太郎が流れていて、厨房の中にはテニスコーツのライブのフライヤーが貼られていました。すごく高円寺ぽいです。こういう音楽聴いている人たちが高円寺に集まっている気がします。

www.youtube.com

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インド富士子サワーのもとが1000円で売っていた。

出口付近にインド富士子サワーのもとが1000円で売っていました。そりゃ何で出来ているか教えてくれないよな・・・。商品だからです。でも、あれはおそらく柑橘系にマサラを入れた飲み物です。インドの現地では何にでもマサラを入れて、フルーツジュースにも入れるんですよね。日本人の感覚からしたらオレンジジュースに胡椒入れるみたいで信じられませんが、これが意外と良い感じの味にしてくれます。

美味しかったのでまた行こうと思っています。

有料コンサルに行ったら逆にお金を貰った話

Facebookで僕と繋がっている人は知っているが、とある人が原因で去年年末から今年の年始にかけてトラブルがあり、友人が自殺しそうになったり、弁護士沙汰になったり、まあ、色々大変でした。ついでに細々と行なっていたビジネスもお釈迦になり、本当に文字通りの地獄であり、かなり落ち込んでいました。その人絡みのトラブル自体は去年1年間ずっと続いていたとも言えなくなくて、去年1年間は本当に憂鬱な年だった。

 

いつまでも落ち込んでいられないので流石にそろそろ動き出そうと思っても体がなかなか動き出さないし、事業ネタも固まらない。こういうときにどうするか?というとコンサルに頼むといいわけです。コンサルと詐欺師は一歩手前の職業だけど、有能な人は本当に神憑ったレベルで参考になることがあります。といっても当たりを引くかわからなかったから、とりあえず数人見繕ってその中から一人選んでアポイントを取って会ってみたわけです。

 

事業の内容はスタートアップも考えていたけど(それで前回は失敗している)今度は堅実に軽トラで何でも屋とかやりたいなーとうっすらと考えていたから、マイクロビジネス系のコンサルに連絡してみたわけです。まあ、知っている人は知っているマイクロビジネス系のブログ「無限の地平はみな底辺」の底辺さんです。昔からこの人の切り口と語り口が好きで読んでいて、一度話してみたいと思っていたんですよね。まあ、あれです。インターネットにいる怪しい人に絡んでみたい欲求です。skypeで一時間一万円です。

 

結論から言うと彼のコンサルはものすごく助かりました。自分の能力と事業内容の言語化が出来たので本当に有意義な時間を過ごせました。ありがとうございます。おまけに有料のコンサルなのに逆にお金を貰うという現象まで起きました。意味がわかりません。僕が持っていたちょっとしたノウハウを彼に教えたんですよね。そうしたら「それはお金を払うような情報だよ?」と教えてもらって、それをフロントエンドの商品として、バックエンド商品としてコンサルを受ければ?と言われて、まあ、当面はそれを行なっていこうかな、と思っています。話を聞いたら同人誌レベル(kindleレベル)でもお客さんが来るそうで、書籍を発行する意味はあるそうです。実際、僕がかつて行なっていたわけわかんない謎のオウンドメディアでもお客さんの注文があったので、あながち嘘じゃないなーと思いました。ただ、書籍が権威や仕事になるには商業誌レベルだと思っていたんですよね。実際はもっとミニマムな形でもあるよ、ということで個人的には意外でした。ただ、僕もたまに誰が書いたかわからんようなkindleの100円の本とか買うんですよね。だから、その時に「はっ!」ってなりましたよ・・・(笑)もちろん最終的には商業出版レベルに近づけていければよりお客さんは獲得できると思うけど、まずは同人誌レベルで良いんですよねと思いました。

 

しかも底辺さんお客さんも紹介してくれて「この人は神かな?」と思いました。とりあえず今年はやることが出来たのでそれを頑張っていきます。

 

あと、今年はブログを更新していこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

イメトレするだけで楽器やスポーツが上手くなる

どうやって練習したら効率的にスポーツや楽器を修められるかという記事。下記記事はTED-Edの動画を元に執筆されている。

www.npr.org

まずは最初にゆっくり同じ動き正確に動かすことが重要で、徐々に動作を早めていく反復練習が効果的・・・という特に目新しくもない主張・・・一般常識のような練習方法が紹介されていた。

 

ただ、動画の後半、興味深い研究が紹介されていた。二つのグループに分けてフリースローイングを上達させる練習を二週間行った。一つは体育館で実際にバスケットボールを使ってゴールに投げ入れていく物理的な練習。もう一方は体育館に行かず、フリースローイングの動作を頭の中で想像することだけを続けた。二週間後、二つのグループにフリースローイングをさせたら同程度の上達度だったそうだ。まじかよ。

 

つまり、嘘か真かイメージトレーニングは効果的な手法らしい。上手に楽器を弾く、上手に物を組み立てる、素晴らしい絵を描く、そういったことを脳内でイメージすればポジティブな効果があるそうだ。

 

もちろん紹介されていた研究結果はわずか二週間なので物事の上達するために物理的な練習を完全にゼロにするというわけではないだろうけど、何かの動作をするということは身体が処理をするわけではなく、あくまでも脳が処理を行うわけだから、正しいイメージを焼き付ければ焼き付けるほどに、上手に動けるようになるわけだ。

 

スポーツ心理学おもしろそう。

よくわかるスポーツ心理学 (やわらかアカデミズム・「わかる」シリーズ)

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