誰でも入れるコミュニティは不届き者を集める
善意で運営されている勉強会に業者がうようよと入り込んでくるというエントリー。
古今東西、人間が集まる場所には不届き者が現れる。例をあげればキリがないがセクトやマルチ、カルト・・・etc・・・誘蛾灯に集まる害虫の如くどこからともなくやってくるのだ。ファーストコンタクトは大学入学時だろうか。多くの人がそうであるように中学、高校とクローズドなコミュニティに属している間は彼らと接触する機会は少ないだろう。多くは大学や社会人からではないだろうか。そう。偽装学生団体やサークルが新入生を食い物にしようとするのは桜の咲く季節の恒例行事である。
知っての通り運営側も黙って見ていない。新入生には偽装サークルに注意してください、という旨が伝えられるし、学内に彷徨く不届き者を排除するのも職員の仕事の一つである。二年生になる頃には時代錯誤なアジテーションたっぷりのビラを配っている集団を生暖かい目で見るようになる。Twitterで「あいつら毎日毎日うるせーな」って悪口を呟くようになるのだ。
コミュニティがオープンであればあるほど彼らは入り込みやすいし、クローズドであればあるほど彼らは入り込めなくなる。必然的にコミュニティの安全性もクローズドになればなるほど高まっていくのだ。しかし、当たり前のことだが人間は歳を取って死んでしまう。メンバーの流動性が無ければメンバーは減っていきコミュニティが縮小していくということである。死ぬ、は誇大表現かもしれないが、関心が薄くなる、引っ越し、結婚など様々な都合でコミュニティを離れることが考えられる。
数日前に以下URLのエントリーを読んだ。詐欺まがいの勧誘をしている業者に某書店が場所を貸していた。最終的に客足が遠のき閉店してしまったという内容だ。
わざわざ自分から不愉快になる場所に近づきたくはないし、詐欺師の発生がコミュニティの衰退を招くのは必然である。 外部に開かれているコミュニティの運営者は全力で不届き者を排除するようになる。ただ、外部の人間から見ると健全か不健全か判別がつき難いことが多い。趣旨や事業内容でうっすらと推測することができるが、確証することは難しい。
最近、僕のマイブームは海外のボードゲームだ。その中に無人島を開拓するゲームがある(推測してください)。グーグルで検索するとある匿名記事が表示される。ゲームを推進する団体が犯罪紛いのことをしていると暴露しているというものだ。そのゲームを推進する団体は他にもあるのだがその団体が主催する大会でもマルチビジネスに誘われたという噂は枚挙に暇がない。*1
不届き者が健全なコミュニティの衰退を招くと書いたが、コミュニティが元々真っ黒である場合は別である。例えばとある某有名シェアハウスのパーティに参加したらマルチや派遣に登録させられそうになったという話がある。シェアハウス募集サイトのcolishを眺めるとヤクザのフロント企業が経営しているのでは?と思う物件もちらほらある。
排除する、というのはリベラルな人ほど嫌う傾向にあると思うが、国家が入国管理局や税関を設けるようのと同じである。設けなければ邪悪な者や兵器が無尽蔵に流入してくるからである。包摂は排除を伴い、排除しないことは包摂しないことにもなる。
奇妙なことに市町村レベルの行政が運営しているコミュニティ◯◯(カフェ、スペース、ルーム)は市民ならば誰でも入れる場所になっている。邪悪な存在の巣窟になっていることは言うまでもない。国家レベルならば排除しているのに市町村レベルでは包摂しているのが現状だ。彼らも市民税を払っているから税金で作った施設で拒否することは出来ないかもしれないが・・・。
運営者側はオープンでいればいるほど彼らの排除に務めるわけだが、彼らは反社会的な存在だ。何を言っているのだ、と思うかもしれないが、社会に馴染めないから反社会的な行動をしているということだ。つまり、反社会的な精神性を持っている人物であることが非常に多い。そして、自分自身の精神を磨り減らす対応に迫られることも少なくないのだ
結局、普通の人にとっては会社や学校以外のコミュニティは『行かない』『作らない』『関わらない』ほうが得策だったりするのだ。しかし、インターネットのサービスはアレな人の意見を機械的に排除していることがある。現実社会のコミュニティにも似たような仕組みがあればいいと思うことがある。逆恨みはされたくないからだ。
- 作者: カールシファキス,Carl Sifakis,鶴田文
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