なつやすみ日記

猫のような日々

小さな物語と小さな政治活動と小さな生活のススメ

政治活動の最終的な出口は生活を変えることである。よって市民革命以後の活動家達は生活を変えるために共産主義など様々な大きなイデオロギーを持った勢力が、政府(民主主義で資本主義国家)という大きなイデオロギーに正面衝突していき勝者が法律や経済を変えてきた。

 

市民革命以後の近代というのは戦争の時代と言い換えても間違ってはいないだろう。それは人権や平等や民主的選挙制度などを持った資本主義国家が、自国の経済を保つために他国を侵略したり、資本主義国家のカウンターとして共産主義国家社会主義が生まれて戦争や虐殺が起きた。何にせよ近代的なイデオロギーが引き起こしたものであり、現代思想の用語で言えば「大きな物語」であり、それに「大きな物語」で対抗し、急進的に社会変革を迫れば大量の人間が物理的な暴力に晒されることは歴史上明らかである。

 

現在、所謂、リベラリスト*1と揶揄される方々も同じような「大きな物語」のイデオロギーを持ったグループであり、政府による法規制で社会の変革を試みている。

 

しかし、法規制で政府が圧力をかけたところで人々の心の有り様が変化するのだろうか?ソ連イスラム教を弾圧し存在しないことにしたが、ソ連崩壊後にイスラム教は復活した。よく知られているように安土桃山時代から日本でもキリスト教の弾圧は行われたが、明治政府がキリスト教を解禁するまでひっそりと隠れキリシタンは生き残ってきた。根本的に圧力で心を支配することなど不可能であり、何なら反発や反動*2、反乱行為を招く結果になるだけである。そして、反乱行為を抑え込むために軍隊や警察が動員され人間が物理的に傷ついていく。右派にせよ、左派にせよ、近代的なイデオロギーに支配された人間は暴力性を孕んだ存在であり、例えば、西洋的な市民革命後の価値観(人権、民主主義、資本主義)と異なる国や地域に急進的に幾度となく迫っために、大量の人間が暴力に晒され傷つき社会が分断されてしまった歴史がある。私たちから見て人権が蹂躙されている社会だからと言って変革を急進的に迫り彼らが犠牲になっていいわけはない。

 

結局のところ、暴力を使わずに社会変革を行い、**人々の生活を変えるには、まずは自分の生活を変えるしか方法はない。あらゆる政治的課題、社会問題、文化的問題、気に食わないことがあれば政府など大きなイデオロギーは無視してしまい自ら実践して理想の生活をしてしまえば良いのだ。そして、仲間が欲しければ思想を伝えるためのデザインを考え、誰かを攻撃などせずに、1人ずつ仲間を増やして同じ生活をするものを拡大して行けばいいのである。**これが現代思想でいうところの「小さな物語」の作り方である。ポストモダニストと言っても良い。脱近代的なイデオロギーの思想である。現代思想的には記号を脱構築し再構築するとも言えるだろう。

 

残念ながら、小さな物語というのは大きな物語と比べて目立つ存在ではない。よって、社会に分散して存在しているのが実情ではある。

 

例えば、日本の労働社会に嫌気が差したならば、日本一のニートを名乗り、働きたくないダメ人間やギークを集めてシェアハウスで擬似家族的な共同生活を行い、インターネット上からカンパや物資を募り、働かずにダラダラと好きなように生きていくことを実践したpha氏はポストモダニズム的な政治活動家と言えるだろう。和歌山の限界集落で集団生活をする山奥ニートの葉梨氏などのフォロワーも生み出し、限界集落で子供が生まれ様々な大人に囲まれながら子育てが行われているそうだ。これは小さな革命である。核家族的な社会に対するアンチテーゼであり、全国的に消滅寸前の限界集落の人口増加であるし、そもそもの出発点で言えば、満員電車に乗って会社に行ってストレスを溜めなくても代替手段はあるというメッセージであった。ただ、pha氏は誰も攻撃していないし、本人が働きたくないから働かなかっただけであり、日本社会という大きな物語に対しては何も言及していない。つまり、大きな物語と対決しないことが小さな物語を作る上で重要なのである。

 

国外で言えば、ケニアでは女性だけの村を作り、女性だけで自活しているコミュニティがある。FGM(female genital mutilation、女性器切除手術)は世界中の人権活動家から非難され続けている問題だが、内政干渉であるし、宗教的、文化的背景を理由に説得するのが難しいのも実情である。前述したように圧力で無理矢理に押さえつけたところで人間の心のありようはそうそう変わるものではない。そうなると女性達が勝手にFGMの暴力から逃げるために生活を変えてしまうほうが手っ取り早いのである。ケニア人の解決方法は、女性達同士でしか住まないことであったのである。

 

courrier.jp

 

何度も言うが、大きな物語と正面衝突を起こしても死人が出るだけで何にも良いことはない。それならば、女性だけが住むコミュニティを作り、女性だけの金儲けの仕組みを作り、女性だけの福祉を作り、生活をデザインしていけばいい。少しづつでも拡大していけば時間が経つにつれ我々が主流派になるのだ。

 

ただし、現実的には社会問題や政治問題にあれこれ言うことしかできないし、生活を変える勇気など欠片もないのが大衆のマジョリティであろう。**他人の心のありようを変えるのが難しいように、自分の心のありようも変えるのは難しいのである。**よって近代主義者同士の争いは今後も続くのであろう。私たち戦争大好き!!!!!!

 

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*1:あれは社会自由主義者であり、本来のリベラリスト自由主義者とは異なる思想

*2:社会学で言うところのバックラッシュ