初音ミクはアマチュア音楽家を救った。
音楽ライターの柴那典さんの『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』が最近発売されました。Real Soundの記事も話題になっていますね。
http://realsound.jp/2014/04/post-411.html
http://realsound.jp/2014/04/post-416.html
初音ミクはいかにして真の文化となったか? 柴那典+さやわかが徹底討論
初音ミクについて俯瞰的にまとめられた書籍で、今から初音ミクについて知るにはとても良い本です。ただ、記事も書籍も社会的な言説や初音ミクによって成功した人のことが中心だったので、僕は普通の人の創造性について語りたい。もちろん本書でもそのことに触れてあるので紹介しながら僕が思ったことを書いていきたい。その一つはクリプトンの伊藤博之社長へのインタビューだったわけだけど、初音ミクが存在していなかったらlivetuneやSupercellだって誰にも知られていなかった可能性は高かった。
そうですね。だから、昔のようにCDを沢山売ってビジネスにするというのはこれからは、正直それほど簡単じゃないかもしれません。けれども、お金という価値を生むことができなくても、人の才能とか素晴らしさに気づく機会はインターネットによってより、沢山生まれていると思うんですよね。今までだとCDを買ってくれた一万人にしか届かなかった音楽が、動画を見てもらうことで100万人に届くようになっている。僕はそこに活路があるのかなと思っているんです。
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?p282-p283
創作の楽しさはお金では変えられないものがある。まるで薄っぺらい自己啓発書にでも使われてそうな言葉だ。ただ、この世界に生きる人間は少なからず創作行為をして生きている。誰かに教えてもらったことを自分に合った方法に変形させて実行している。創作が出来ない人間は、生まれたての赤ん坊くらいなものだ。その赤ん坊が言葉を教わり、様々な言葉を組み合わせていった瞬間から創作がはじまる。そして、それは彼が死ぬまで終わることはない。自分の好きな言葉を他人に伝えるために様々な言葉を組み合わせて文章を創造していく。料理を作るときに、レシピ通りに作っていたら、好きな女の子の舌に合わせることなんて出来ない。レシピと自分が知っている女の子の好みをミックスして料理を作るだろう。そこにあなたのオリジナリティがあるんだ。何かと何かを自分なりに組み合わせる行為、それが創造性と呼ばれているものだ。ちょっと難しい言葉を使えばブリコラージュで、誰でも知っている言葉なら引用で、音楽が好きな人ならリミックスだ。
文化によって言い方は異なるけど、文化によってはそれが許可されていたりいなかったりする。文筆家が参考文献から引用することは法的に認められているけど、音楽家が他人の作品からサンプリングして作品を売ると様々な法的な問題が起きる。奇妙なことだ。その差はなんだろう?上記のURLでプレゼンテーションをしているローレンス・レッシグはこう表現している。
この質問への完全な答えはわたしの手に終えないし、したがってここで本書の手にも負えない。でも、その糸口ぐらいはつけられる。こうした表現形態には明らかなちがいがある。ここでの趣旨から見ていちばん重要なのは、この種の「著述」が歴史的に持つ民主主義上のちがいだ。文章での表現は、みんなが教わることだが、映画作りやレコード作りは、二十世紀のほとんどにおいて、プロしかやらないことだった。つまり、映画や音楽では引用に許可が必要な仕組みを想像しやすい。そうした仕組みは、非効率かもしれないが、少なくとも実現可能ではある。
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- 作者: ローレンス・レッシグ,山形浩生
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2010/02/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方 P48
本書の内容は新しいエコシステム*1にあった法体系を整備すべきだとローレンス・レッシグは主張している*2。古代、文字を書けるのは一部の貴族だけだったし、多くの人が文字が書けるようになっても、公の場に文章を発表出来る人はほんの一握りだった。インターネットが普及して、みんながブログやTwitterを使って自分の言葉を表現する出来るようになっている。音楽もそうなのかもしれない。ひょっとしたら全ての文化がそうなのではないか。ブログに関してもう少し突っ込むと、ブログが生まれてつまらない文章も莫大に発生させたが、多くの優れた文章が生まれ、多くのプロのライターを生んだ。彼らは古代に生まれていたらその才能を発揮出来ていたのだろうか・・・?
「どんなものでも90%はカスである」というSF作家シオドア・スタージョンが残した格言がある。これは「スタージョンの法則」と言われていて、もちろんこれは皮肉だからパーセンテージには何の裏付けもないんだけど、彼の格言は正しいと感じることは多々ある。スタージョンの法則を日本の人口比に当て嵌めれば、約一千万人は文章を書く才能がある。そして、ブログはそれを発掘した。音楽に関してもそうだ。名曲を作れることが出来るのは極一部の才能がある人だけで、その人達だけがステージで光を浴びることが出来るというふうに。初音ミクによってその幻想を破壊された*3。名曲を作ることが出来る大量の作曲家を発生させたのだ。一部の人達のものだけだった物語を奪い返した瞬間だったと思う。もちろんそこからlivetuneやsupercellみたいにメジャーデビューしてプロフェッショナルになった人間もいるけど、そうではない、評価されずに、誰にも知られることなく死んでいった作曲家達が初音ミクによってどれだけ救われたのだろうか。その人が楽器の習得や作曲に費やしてきた膨大な時間が報われたんだ。もしそれが報われなかったらその人はどうなるのか?そんなの決まっている。絶望だよ。音楽は嫌いになってあれは単なる幻想だとか夢だとかそんなふうに思い始める。そんなの悲しすぎる。音楽が好きな人なら、多かれ少なかれそんな人は近くにいるだろう。そして、20代も後半を過ぎればそんな人で溢れ始め、気づいたら死屍累々だ。これは精神的にも文化的にも豊かであるのだろうか。僕は決してそうは思わない。
「ただ、そこでお金が儲かる、産業になる保証は出来ないですよね。認められた時には何らかの形で収入が舞い込んでくるかもしれない。でもその保証はない。僕らは、クリエイターに『お金が儲かるからやりましょう』と言ったことは一度もないんです。そういう言い方ではなくて、なんか面白いから、楽しいからやってみようよ、それによって自分のやりたいことが見つかるだろうし、いろいろな人とコミュニケーションできたら楽しいし、いろんな人に感謝されたら嬉しいよね、ということなんです。お金が儲かるっていうだけがクリエイティブの唯一のゴールではなくて、人に喜ばれるとか、感動させるだとか、それによって自分にできることが増えていくこともゴールとして捉える。この先に音楽の原盤でお金を儲けることはたぶん難しくなっていくと思いますが、お金以外にも自分の生きがいを見つけることはできる。それだけでもやる意義があるのかなと思うんです。そして、ここから先は単なる直感ですけど、お金という概念がいつまで世の中の主流であり続けるかもわからないですね。情報革命の行きつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っていますから」
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?p286-p287
まだ僕たちが生きていくためにはお金は必要だし、音楽を作ることだって楽器を買ったりしてお金はかかる。でも、その人が発表した曲がお金にならなかったとしても誰かが喜んでくれたら、その記憶は生きていくための支えにはなるのではないのか。それはほんの些細なものかもしれないけど、長い人生の中で生きていくための力になるはずだ。曲を作る人がいて、曲を聴く人がいて、お互いの人生に意味が生まれる。自分が楽しい、かっこいい、ヤバいって思って作ったものが社会に残るってすごいことじゃないのか?だからこそ作っていくんだ。みんなクリエイターだ。*4
初音ミク 『tilt-six / overwriter』 - YouTube
Twitterやっているよっ!
バンドもやっているよ!
https://twitter.com/bakamitai_info
https://soundcloud.com/bakamitai
*1:ReadWrite文化、共有経済と彼は定義している。対義語はReadOnly文化、商業経済。後者は一般的なクリエイターとリスナーの二項対立で、リスナーは聴くだけなのでReadOnly、前者はクリエイターとリスナーの二項対立は曖昧で誰もがどちらの役割を果たせるようになる。古くは口承文化で、現代ではヒップホップ、オープンソース、ニコニコ動画等でReadWrite文化を見ること出来る。
*2:初音ミクに関しても、二次創作(柴さんの著書では濱野智史氏の提唱しているN次創作を用いているけど)はクリプトンフィーチャー社がPCLという独自のガイドラインを提唱するまではルールが存在しなかった。http://piapro.jp/license/character_guideline
*3:もちろん初音ミクだけではなくて、マルチネ等のネットレーベルも。
*4:Everyone,Creator,2012年にGoogle Chromeのプロモーションに採用されたキャッチコピー。livetuneのTell Your Worldが使用されて話題になった。
自分の広告の読み方がGoogle化している件について

- 作者: スティーブン・レヴィ,仲達志,池村千秋
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 2011/12/16
- メディア: 単行本
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『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』を読み終えました。Googleの歴史や思想について、詳細に語られていて読み応えありました。Googleの収益源と言えば誰もが知っていますが、ユーザーが検索サービスで検索をした時に表示される広告費で莫大な利益を出していることは有名だと思います。Google Adwordsと呼ばれている広告システムのことです。また、WebサイトやGmailに表示される広告群はGoogle Adsenseと呼ばれています。
皆さんがご存知の通り、この広告システムはユーザーが検索した文字列によって判断され表示されます。例えば、”掃除機”と検索すると掃除機メーカーのダイソンの広告屋や「掃除機は○○で!」というキャッチコピーの大手家電量販店の広告が表示されます。決して、"掃除機”を検索したのに、上海行きの格安チケットの航空券が広告として表示されることはないわけです。*1つまり、検索結果に出てくる広告はユーザーが求めている有益な広告が表示される可能性が高い。テレビCMや電車の中吊り広告とはかなり異なるというわけだ。僕の私見だがそもそも、広告とは多くの人にとって不快な場合のほうが多い。
Googleの広告システムを開発したのは広告嫌いのエリック・ヴィーチというエンジニアである。 彼だけではなく、Google全体で従来の広告に対して不信感があったそうだ。
伝統的な広告に対する嫌悪感は、創業者の二人だけではなく、グーグルという企業全体に充満していた。グーグルに関する最初の学術論文の中で、ペイジとブリンは従来型の広告が広める害悪について付録で時節を展開した。
〜中略〜
中身のない広告をユーザーに押し付けるのではなく広告であってもユーザーが必要とする重要な情報を提供すべきだというブリンの主張に強く感銘を受けた
グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ p127-128
結果として、Googleが取った方法は事業主がセルフサービスで広告を入札するオークションのようなシステムを採用したがあくまでもユーザーのためのサービスであるという点は曲げなかった。
情報としてユーザーに最も有益な広告が優先的に表示され、最も目立つ表示位置を金で買うことができない仕組みになっていた。つまり、ユーザーが広告主のランディングページを閲覧することが最も多い広告が優先的に表示される。表示されたテキスト広告を実際にクリックした人々の割合を、「クリックスレート」と呼ばれるようになった
グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ p128-129
また、Google Adwordsはユーザーのクリック数に応じて支払うため数万円程度の小額の広告費しか出せない事業主でも参加することを可能にするものだった。このシステムのおかげでニッチな文字列でもロングテールの広告掲載期間を得ることが出来るようになった事業主もいた。
この書籍を読んでいる時に僕がふと思ったのは僕自身が最も有益な広告が表示されることが当たり前だと思っているのではないか?と思った。テレビのCMは邪魔で、中吊り広告で商品は買わないし、とうぜん雑誌の裏のギター入門セットやお金や女の子がいとも簡単に手に入るようになるアクセサリーは買う事はない。広告は邪魔なのだ*2。まるで自分の思考パターンがGoogle化しているような気がしてくる。有益な情報は検索すれば返ってくると自分の頭が反射的に思い込んでいるような薄ら寒さを感じた。
菅付雅信さんの『中身化する社会』という書籍で彼はこんなことを書いていた。
先進国の人々は広告を信じていない。
調査会社ニールセンが2011年9月に世界56カ国、計2万8000人のオンライン消費者を対象に実地した広告の信頼度調査で、〜中略〜 2007年の調査と比較すると、テレビ広告は62%から47%へ、新聞広告は61%から41%へ、雑誌広告は59%から47%へさらに企業のブランド・サイトは70%から58%へ落ちている。
さらに地域別で見てみると、テレビ広告を信頼していると答えたのは、アジア環太平洋地域が47%であるのに対して、北米は40%、ヨーロッパは30%しかなく、新聞広告はアジア52%、北米47%、ヨーロッパ28%、雑誌広告はアジア54%、北米47%、ヨーロッパ28%と、特にヨーロッパにおける広告への信頼度の低さは顕著となっている。
中身化する社会 (星海社新書) p68-69
この続きでwebメディアの広告費だけは唯一右肩上がりと指摘し、Facebookのマーク・ダーシー氏の「これからの広告は人々の間に割って入っていくものではなく、コミュニティーを作るものになる。ソーシャルメディアで真実は暴露されます。Facebookは嘘が嫌いです」というあるカンファレンスで発言したコメントを引用して、従来の広告というものが陳腐化し始めていることを著者の菅付さんは論じている。ぼくが別のレトリックで表現するなら、多くの人達が検索すれば自分に適した情報が手に入ると信じ始めている、ということではないかと思った。2chまとめブログ、ヤフー知恵袋、食べログ・・・これらのWebにおけるステルスマーケティングや荒し行為等が横行するのは少なからずそういった文章が現実に影響を与えているからなのだろう。もちろん、情報リテラシーに優れた人間が看破することは容易いことかもしれないが、世の中の人達はそういった人達ばかりではない。
オンライン広告が右肩上がりと言っても、全体の広告費では2割程度でしかない。残り8割はオフラインの広告なのだ。Googleは人々を更にオンラインにすれば 必然的にGoogleの収益が伸びて行くことになるので、様々なソフトウェアやプロダクトを開発しオフラインの人々をオンラインにするように注力している。おそらく、今後人々がオンライン化していくにつれて個人に最適化された有益な情報が提供されるように改良化されていくだろう。かつては大企業しか広告を打てなかったが、Google Adwordsの登場で中小企業でも広告を打てるようになり、ベンチャー企業等も打てるようになり、個人事業主も打てるようになった。Facebook等のSNSにおいては友人同士というなんとも狭い枠内で広告が機能するようになってしまった。ただ、それによってクラスタ内でしか意味が通じないプロダクトが横行するようになってしまった。僕が好きな日本のインディーロックに関して言うならばceroというバンドはそうだ。はてなブックマークをよくみる人達にとってはenchant Moonなどもそうだろう。一部では超有名だが、それは限界集落内の話なのである。*3
僕が一番驚いたのは自分の中にGoogleの思想がいつのまにか入り込んでいたということだ。誰かから押し付けられた情報に拒否をするようになり、自分が求める有益な情報を求めるようになっている。いつのまにかGoogleに啓蒙されている。すごい。
*1:もちろん可能性としては有り得なくはないが、悪戯以外にそのような広告費の使用方法は考え難い
*2:そのくせ、他人の感想は簡単に信じてしまい、ステルスマーケティングに引っ掛かることになる。
*3:マスに知らせるための広告が段々と小さい対象になっていきそれが最小化したときにどうなるか?個人が誰にも情報を伝えることを必要としない究極の広告が出来ることになる。自分の中で情報を生み出し、自分で情報を読み、自分で商品を買う・・・すいません。自分で言っていてなんですが与太話もいいとこですね(笑)しかし、自分で情報を作り出すというのは、Googleが初音ミクを使ったCMで「Everyone,Creator」というキャッチコピーを彷彿とさせてしまう。そういった時代的側面はあるのかもしれない・・・?