なつやすみ日記

猫のような日々

デジタルとリアルが融合した第三世界に到達している

 

目端が効く人間ならば何年も前から気づいていることだが、今回の都知事選挙で世界が変容していることに気づいた方も多いだろう。まあ、未だに気づいてない残念な方々も大量にいる。彼らが時代に取り残されて破滅していくのは確定事項だろう。彼らが理解することは今後もないと思うが、変容したことに気づけた幸運な人のためにこの記事を書いている。

 

我々の世界はデジタルとリアルが限りなく融合した世界に到達している。

 

かつて現実社会(リアル)はテレビや新聞社が情報の流通を支配していたが、2024年にテレビや新聞社が情報の流通を支配していると頷くものはいないだろう。もはや動画メディアも文字媒体も何なら漫画雑誌ですら誰でも参入出来る状況になっている。

 

地上波テレビなどのマスコミ4媒体の総額の広告費は31.4%だが、インターネット広告費は45.5%である。 Webのほうが権力を持っている時代なのである。そして、それらの広告は誰でも入稿出来る。差別はされない。テレビ局は選挙の泡沫候補に取材などはしないが、Web広告は選挙の泡沫候補ですら出稿することが出来る。*1

 

引用:株式会社電通「2023年 日本の広告費」報告書 P20 https://www.dentsu.co.jp/knowledge/ad_cost/2023/

 

もちろん選挙期間中に政治家がWeb広告を入稿することは日本の法律では認められていないが、重要な点は広告を出せば効果があるということである。

 

つまり、インフルエンサーYoutubeチャンネルに出演することや支持者が切り抜き動画を拡散することは合法である。そして、それらが非常に効果的に機能し石丸伸二氏を都知事選挙で2位に躍進させた。

 

ただ、SNSのみで票を集めた暇空茜氏や内海聡氏のような人物は泡沫候補の域は拭えない結果であった。それでも暇空茜氏が11万票で内海聡氏が12万票である。テクノロジーの力でポスター貼りや演説活動も少し行えた安野貴博氏は15万票である。

 

デジタル空間だけでも多くの票を集めることは出来るが、選挙で勝てるほどの票は集められていない。石丸氏とデジタル空間のみで票を集めた候補者との違いは地上戦を全力で行ったことである。

 

石丸氏はデジタル空間で獲得した顧客をリアルの演説の場に集めることでエンゲージメントを高めている。それらは投票行動に繋がり、大量に人間が集まることで否が応でもマスコミは報じざる得なくなる。マスコミが報じれば、デジタル空間以外の人間にも認知が届くようになる。

 

これらは現代のインフルエンサーが行なっているビジネスの構造そのままであり、デジタル空間でインプレッションと顧客を獲得し、現実世界のライブイベントで集金をするということである。現実世界に集まったファン達はSNSで投稿をして更なるインプレッションも獲得し、必然的にニュースバリューが発生するためにマスメディアも報じざるえなくなる。

 

また、デジタル空間で認知を獲得する戦略は地域性が強い店舗ビジネスに於いても効果がある。インターネット空間の広告は特定の地域のみをターゲットにするものでないから、日本全国の住民にアプローチしたところで意味がない、と。人間は見えないものは認知できない生物である。大抵の人間は仮説を作る思考もしなければ仮説を検証する実験もしない。

 

一都三県だけで3000万人が住んでいるし、東京都民だけに限れば1400万人である。1億2万人にアプローチしたとしても、4分の1にリーチ出来るし、都民だけに限っても10分の1にリーチが可能である。このような適当な計算でも全体をターゲットにした露出というのは効果があるのは明らかなのだが、露出を獲得する努力をしているローカルビジネスは非常に少ない。2017年ごろに自分が関わっていたとある店舗では「週末は全国からお客さんが来る変な店!」と言われていたが、そのような戦略を取っていたから当然の結果である。もちろん近隣の他県からの顧客は日常的に多かった。

 

一方で蓮舫氏は旧来のオールドメディアや市民団体の活動に寄った戦略であり、デジタル空間で認知を広めて現場に誘導することを怠っていた。マスコミの取材は山のように来る。支持者達は熱狂する。しかし、それらは内向きのメッセージであり、山奥で開催しているロックフェスぐらい限られたユーザーにしか向けられていなかった。第三者から見れば単なる騒音である。警察に通報して騒いでいることを止めさせたくなるようなものでしかない。

 

 

とはいえ3位の蓮舫氏は120万票を集めたし、オールドメディアも勢力が衰えたと言っても広告費の31%も占める巨大な権力であることは間違いない。旧来の権力構造及びエコシステムに近しい立場の文化人が蓮舫氏に投票したことを意思表明していたことが証左となっている。

 

ReHackのライブ配信で成田悠輔氏が「テレビ時代に圧倒的な認知を獲得した芸能人が出馬すれば誰も勝ち目がない」と言っていたように、インターネット広告費がオールドメディアを抜いたと言ってもインプレッションは多数のインフルエンサーに分散されている。かつての時代では当たり前だった誰もが知っている人間を作り出すことも難しくなっている。北野武タモリが出馬すれば、何の選挙だろうと100%勝てるだろう。認知度の世代間格差が発生していると成田氏が主張している。認知度の分散化である。

 

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選挙に於いては認知度がどれだけ広まるかの勝負であるが、デジタル空間をハックして選挙結果すらも操作することが可能になっている。英国のEU離脱も米国のトランプ大統領の当選もデジタル空間をハックして投票行動が操作された結果として起きたのである。

 

そう。ケンブリッジ・アナリティカ事件である。

 

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デジタル空間は現実空間の実態に近づいている。なにせインフルエンザの感染予測をデジタル空間の情報だけで推測できるようになっているのだ*2

 

我々の世界はデジタルとリアルが限りなく融合した世界に到達している。

 

そうした現実をケンブリッジ・アナリティカ社は利用して有権者の行動をWeb広告とデータサイエンスの知見でコントロールし、世界中の選挙結果を思うがままに変えてきてしまった。投票行動を変えそうな人間のビックデータを機械学習で分析し、統計的に有意な結果だったセグメントのユーザーに行動が変容する効果がある広告をターゲティング配信するという手法である。*3

 

もちろん、プロパガンダによる大衆の扇動は第二次世界大戦前から行われてきたことだが、重要な点はデジタル空間に転がっている個人のデータの集合体、すなわちビックデータを使って投票行動を変えたことである。データサイエンスの能力と予算さえあればパソコン一台で世界中のどこにいてもプロパガンダによる大衆の煽動が可能になっているということだ*4

 

世間に溢れるグラフィックデザインですらデジタルとリアルが融合したものが目立つようになっている。現実の空間とキャラクターを合わせた表現は日常系のアニメーションで用いられる程度だったが、今や街中に溢れる広告のグラフィックですら現実空間とキャラクターの融合は珍しいものではない。何なら生身の人間ですらエロゲーのような服装をした女の子が街中を歩いている時代である。

 

youtu.be

 

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要するに哲学者のジャン・ボードリヤールが言うところのハイパーリアルの時代に完全に到達してしまっているわけである。もはや虚構も現実も区別がつかない。

 

ボードリヤールは、シミュレーションの三つのレベルが存在すると説く(『象徴交換と死』)。第一のレベルは現実の明らかなコピー(模造)で、第二のレベルは現実と表象の境界があいまいになるほどよくできたコピー(生産)だ。第三のレベルは現実世界の個別的な部分にまったくもとづかない、コピーそのものの現実を生み出すコピー(シミュレーション)である。

 

いちばん良い例はコンピューター言語やコードによって生成される世界である「ヴァーチャル・リアリティ」だろう。したがって、ヴァーチャル・リアリティは抽象的存在である数学的モデルがつくりだす世界であり、ボードリヤールがハイパーリアルと呼ぶのは〔現実〕世界の構築に先立ってモデルが出現する、この第三レベルのシミュレーションのことだ。

 

引用:リチャード・レイン.2006.ジャン・ボードリヤール (シリーズ現代思想ガイドブック.P55

 

iOSMac OSを利用している人は週間レポートで画面を見ている平均時間の通知が来るだろう。そして、それらを見つめている時間に驚くだろう。私の場合は読書、仕事、友人とのコミュニケーションまで全てをiOSMacで行っているのでこういう結果になる。

 

 

メタバースが来る来ないと世間は騒ぎ立てているが、そもそも我々はデジタル空間の画面ばかりを見ている。とっくのとうにメタバース的な空間に多くの人が親しんでいるのである。

 

もちろんリアルの空間を見ることが出来なくなったわけではないのでデジタル空間から現実のライブイベントに足を運ぶことになる。ライブ空間にいる時間はせいぜい二時間程度である。一日に見ている画面の時間は私の場合で11時間が平均である。私に何かしらの広告を見せたければデジタル空間からリーチしてくるのが最適な選択肢となる。私が興味を持って問い合わせのメッセージを送れば営業マンから連絡が来るだろう。

 

そして、Zoomなどのビデオ会議アプリで打ち合わせを行う。二人とも現実に存在する人間だが、デジタル空間を通じて現実の世界の問題について相談を行う。

 

もちろん現実の出来事がデジタル空間に影響を与えることもあり、それらは相互交流的なものである。いわゆるIoTと呼ばれる装置機器は現実のデータをデジタル空間にフィードバックするものだ。工場内部の機械類の状態をセンシングすることでデータ化し、監視者がコンピュータの画面上でチェックすることでメンテナンスを効率的に行えるようになっている。また、店舗や街中に設置した監視カメラからデータを集めて、消費者の行動を分析するために用いられている。それらは消費者に商品を買ってもらうようにデジタル空間で分析されて最適化された結論を導き出す。ケンブリッジ・アナリティカ社のように悪意はないが、消費者をコントロールするという意味では地続きの技術である。

 

www.nikkei.com

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2000年代初頭にロボット型検索エンジンGoogle)が登場して以来、人類は欲しいものや解決したいことがあればキーワードを打ち込むようにもなっている。言い換えれば、現実の需要がデータ化されているということであり、需要の測定を可能にしつつあるのだ。そしてそれらはデジタル空間に収納されて誰でも見ることが出来る。デジタル空間から供給を作ることが出来れば、現実の需要は満たされる。

 

もちろんデジタル空間の需要からデジタル空間に供給を通すことも可能だし(オンラインゲーム産業などはこれである)現実の需要を現実の供給が満たすことも相変わらず行われているし、現実の供給がデジタルの需要を満たすこともある(物理的なハードウェアなど)。それらは互いに複雑に絡み合った形で機能しているのだ。現在の経済をこのように作り出されている。

 

しかし、厄介なことにそれらの経済は非常に見え難い。ほとんどの人間には不可視の存在である。

 

冷戦後の世界は大きな物語の終わりと言われた。1992年にフランシス・フクヤマが『歴史の終わり』を上梓し、1997年に文科省はVUCA(目まぐるしく変転する予測困難な状況)の時代を意識するようになり*5、大学は脱工業化社会へと向けた教育を行うために再編ブームとなっていた。1990年開校の慶應大学の湘南藤沢キャンパスなどは典型例である。

 

それらの評価に関しては様々な語り口があるが、Windows95とインターネットの到来により、人類の需要は分散化されていき、検索エンジン上のデータベースに需要が溜まっていき、キーワードに対して適切な供給が出来た事業者は金持ちになっていったことは明確な事実だろう。*6

 

主要マスメディアの広告費は31.7%であり、新聞社やテレビ局などはせいぜい10〜20社程度のチャネルしかないが、広告費が45%のWebは数え切れないほどのチャネルが存在する。全てのチャネルを把握出来る人類は存在しないし、大部分の人間にとっては複雑に絡まり合った雲のような存在としか認識出来ないだろう。認識するにはあまりにも小さすぎるのである。

 

現代思想の世界で大きな物語、そして小さな物語という言説はよく用いられるテーマであるが、2024年になっても大多数の人間は国家や共産主義といった大きな物語から抜け出せていないことは蓮舫氏の態度や支持者を見ていれば火を見るよりも明らかである。そして、今回の選挙で大きな物語に未来がないことに気づいた人も少なくないだろう。

 

オールドメディアには未来がないし、それらに付随していた産業も未来はないだろう。要するに音楽産業や芸能産業や出版産業であり*7*8、それらの主だったマネタイズはテレビCMの多額の出演料であり*9、ライブイベントの出演料や小説やCDの販売ではない。もともとあれらはクロスセルでしかない。テレビ広告の効果が下がっていけば事業会社は誰も広告を出さなくなる。つまり、CMに付随していた産業も滅ぶということになる。既にオールドメディアの一つである雑誌業界は広告主の撤退によって、2010年代に多くの雑誌が休刊や廃刊になっていった*10。広告主がいなければメディアを維持することは不可能なのだ*11

 

一昔前に「新しい時代の生き方をしていこう!自由に生きよう!」というと胡散臭く聞こえたし、今でも詐欺師のキャッチコピーとしては常套手段であるが、詐欺師のキャッチコピーに縋らなければならないほどに不確かで不可視な需要(小さな物語)にそれぞれが旅立っていかなければならない時代に突入しているのかもしれない。

 

もちろん大きな物語のシェア率が今後も下がっていけばの話ではある。私が恐れているのは戦争によって大きな物語復権することであり、大きな物語に縋り付くしかない人達が戦争を起こしかねない世界情勢になりつつあることでもある。人間は物語を求める生き物だ。彼らの不安や怒りの根源は物語を続けられない苦悩からである。

*1:ちなみにWeb広告は1000円程度でも出稿できる。簡単なテストであれば大金は必要はない。驚くべきことに大手企業に勤めている方でも少額で始められることを知らないことが非常に多い。要するに広告代理店に管理を丸投げであり、自社で何一つ運用していないからである。日本企業の縦割り組織構造のデメリットである。

*2:Richard Rogers.2013.Digital Methods.pp23-24

*3:具体的なデータサイエンスを用いたプロモーション技術を勉強したい方は金本拓先生の『基礎から機械学習・時系列解析・因果探索を用いた意思決定のアプローチ)』がオススメです。

*4:ちなみに英国のEU離脱トランプ大統領の当選以外にも世界中で暗躍していたことはドキュメンタリー映画(グレートハック)や書籍(告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル)で明らかになっているが、日本国の政治家からは依頼がなかったことも明らかになっている。まあ、要するに巨額のコンサルタントフィーを支払う金がなかったのである・・・。自民党の裏金のしょぼさに日本の政治家は相対的にクリーンであることが示されてしまっている。なにせ、テッド・クルーズがケンブリッジ・アナリティカ社に払った依頼料は5.8億米ドルである。日本の官邸の機密費ですら約10億円しかない。日本の政治家は逆立ちしたって払えるわけがない。日本全体の政党交付金を全て合わせても315億円しかないのだから。

*5:21世紀を展望した我が国の教育の在り方について https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/970606.htm

*6:そして、その支配者であるGoogleMicrosoftFacebookAmazonは神とも言えるような存在になっている。彼らに逆らえばインターネットでのビジネスは途端に行き詰まる

*7:もちろんWeb広告に最適化した音楽や芸能や出版のコンテンツは儲かっている

*8:具体的にはJ-POPやお笑い芸人や紙で印刷された書籍(特に文芸)などである。マネタイズの構造が壊れつつある以上は既存のプレーヤーや会社は生き残れるかもしれないが、現状から参入するメリットはプレーヤー側もマネジメント側も存在しない

*9:そもそもYoutuberやVtuberを観察していれば理解出来ることだが、彼らは案件動画とグッズ販売で利益を出している。ヒカキンはミュージシャンだが同時に広告塔でもある。だから、企業が案件動画を依頼する。なお、Vtuberは自社製品を強化する方針であるのはIRを見ていても明らかである。

*10:そもそも金を払って広告を見せるという邪悪過ぎるビジネスモデルがリクルートのゼクシィ以降の雑誌文化なので滅んだほうが良かった

*11:現状のWebメディアにも言えることであり、ペイウォールメディアに移行していっているのはWeb広告モデルの収益では経営が不可能であることを意味している。フリーミアムモデルの終焉である。