フロイトやユングをどういうふうに捉えるべきか。
フロイトの医学の背景には、神経生物学と神経解剖学がある。自分が編み出した精神分析は、科学が進歩するまでの一時しのぎだと、フロイトはつねに言っていた。「われわれの心理学的な暫定仮説はすべて、いずれは有機的担体という土台の上に基礎づけられるべきであるということを、想い出さねばならない」*1と一九一四年に述べている。この考えは、六年後も変わっていない。「もしわれわれがこの時点ですでに心理学の術後ではなく、生理学の術後ないし科学の術後を動員できるなら、われわれの記述の欠陥はおそらく消え去るであろう。・・・・・・とはいえ、生物学はまことに限りない可能性を秘めた領域であって、まったく想いもよらないような解明が期待出来るし、またあと数十年もすれば、われわれが提示した問いに対しどのような答えを寄せてくるか、予見することなどできたものではないだろうか。ひょっとしたら、われわれの築いた仮説の建造物全体をなぎ倒すような答えを寄せてくるかもしれない」*2
同じことは今日でも言える。脳画像を使えば、神経解剖学的な特徴をさぐり、脳がどんな形をしているのか、何をしているのかという疑問の答えが出始めている。
- 作者: テンプル・グランディン,リチャード・パネク,中尾ゆかり
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精神病は「脳」という臓器の病気、もしくは遺伝子の病気であると考えられている。かつては精神病患者が死亡後に脳の損傷箇所を確認するぐらいしかできなかったが、MRIの発明後は生存中の患者も調べられるようになった。ただ、MRIは開発されて僅か30年程度しか経っていない。
精神病の定義が朝令暮改の如く瞬く間に変化していくのは未だ人間の脳がほとんどわかっていないからである。ただ、仮説だけで診断を下していたが故に自閉症患者の原因は冷蔵庫マザーであるとレッテルを貼っていた側面があった。現在はそれよりはマシな程度に医学的なエピデンスが出てきているという状況なのだろう。
そういう意味では疑似科学的な親学も明確に否定できなくなっているのかもしれない。もちろん「脳」という臓器の研究の進むに連れて疑似科学的な考えは否定はされていくのだろうが、今の段階では因果関係を100%否定するのは難しい状況なのかもしれない。故に一部の人間に蔓延ってしまっているのかもしれないと思っている。